周囲の音には気づかないぐらい深く、私は物語の中にのめり込んでいた。頭の中で前の知識と新しい知識が繋がっていくような感覚がある。
「やっと本来のキミの状態になりつつあるようだね。」
ふいに声をかけられ、顔を上げるとミラーボール団長が立っていた。
「なんの話ですか。」
「だって前だったらボクの部屋に勝手に入って本を読み漁るなんて、もっと遠慮がちだったじゃないか。このところいつも来ているね。」
「だっていつでも読んでいいと言ってたじゃないですか。」
私の答えにミラーボール団長はそうだったね、と笑った。
この列車はどこへ向かうのか。私が指揮官だったという記憶。私の大切なものたちはどこへ行ったのか。その全てが繋がるのなら、どれだけ時間がかかっても答えを見つけ出してみせる。
「ミラーボール団長、私は真実に辿り着けると思いますか?」
ミラーボール団長は知ってるくせにという笑みを見せた。すると、ガチャン。部屋のドアが開いて団員のクロ・ヴィシャスが現れた。カラスの羽のように黒いパンキッシュなファッションが特徴的だ。
「おい、なんか手紙が来てたぞ。」
ミラーボール団長の元に届く手紙は銀河空間に漂っている。それをキャッチするのが彼の役目なのだ。それもそのはず、以前は王様の連絡係のカラスだったのだから。
「ありがとう。」
ミラーボール団長は手紙を受け取ると一枚ずつ宛名を確認した。手紙はサーカスへの賛辞なのか、個人的なものなのか判別できない。すると急にある封筒の宛名を見てミラーボール団長は慌てた。
「おや!?こ、こ、こ、これは!!ありえない!急がないと今すぐに!!」
そして手紙をいつも本を入れるドアの横の隙間に入れた。
「どうしたんですか?急ぐって、何があるんです?」
ミラーボール団長はにやっと笑って言った。
「デートのお誘い?」
「「はい?」」
列車の前方にあるミラーボールに鳩とフクロウのシルエットが点滅した。
三日月が静かに灯る夜、列車は月の表面を滑るように小高く人通りの少ない建物の前に停車した。
建物の入り口には小さな看板に「フェリス・ウィール」と記されている。フェリス・ウィール。確か観覧車のことだ。
「フェリスという人が作ったからこういうんだよね。だけどフェリスには幸福という意味もあるのさ。つまり幸福の輪という意味だ。」
「ここは何かのお店なんですか?ていうか、デートのお誘いって言ってたのに、みんな降りて来ちゃってるけど。」
「レストランだよ。」
ミラーボール団長は黙った。「本当は仕事の依頼なんだ。あのコ達からの。」
前に言っていたすごく遠くに行ってしまった大切な子達のことだろうか。
「正確にはあのコ達と関係するところから、だけど。」
ミラーボール団長は残念そうなでも楽しみなような話し方で扉を開けた。
扉の向こうには表からはわからなかったがどこまでも続く長い廊下があった。赤い絨毯が敷いてあり、豪華な装いだ。
壁にはこんな札がかかっていた。
「ミラーボールサーカスのみなさん、本日はよく来てくれました。当店ではドレスコードとしてみなさんに仮面をつけていただきます。こちらからお好きな仮面をお取りください。」
札の下に箱が置いてあり、中には動物やピエロの顔の仮面が入っていた。みんな気に入ったものを手に取る。私は一番シンプルな蝶々の形をした仮面を目元につけた。
ミラーボール団長はほぼサングラスとしか言えないような目元がミラーボールになってるやつをかけていた。
思い思いの仮面を被ったまま団員達は先へ進む。
するとようやく人の姿が見えた。背広を着ている背の高い男性だが、その人も仮面を被っているため顔は見えない。
その人は深々とお辞儀をすると丁寧に話し始めた。
「本日はみなさんようこそおいでくださいました。まさか我々の注文にそちらの団長さんが答えてくれるとは思いませんでした。普段は敵対してるようなものですから…。」
「ボクは誰の敵でもないよ。今回はお互いの計画に必要だから来ただけさ。」
「それでも、我々果実の同盟に協力してくれるなんて初めてではないですか?」
団員達がざわついた。果実の同盟だって?長い間世界を裏で操っていた秘密の組織だ。どんな目的があるのか知らないが、中には人を幸せにはしない酷いこともやっていると今まで聞いた話から私は決めていた。
ミラーボール団長が大切な人達だと言っていた人もそれに関係してるのだろうか。「これも全てデスティニーだよ。それより依頼の内容をサーカスのみんなにも説明してくれる?」団長は男性の問いには曖昧にしか答えず先を促した。
「はい。実は本日この果実の同盟の会員制レストラン、フェリス・ウィールでは大規模なオークションがあるのです。そのオークションの前座でのパフォーマンスとオークショニアをみなさんにお願いしたいのです。」
小人のトムさんが男性を見上げて尋ねた。「おい、大規模なオークションって一体何を売るってんだ?」
「それはもう、我々にとってはとても興奮するものですよ。」
仮面の男性に案内されて地下に続く階段を降りる。何故秘密裏に生きる者達は地下を好むんだろう。地下は表よりも広く作られていて、会場の裏に楽屋があるようだった。人通りの準備をそこでしろということなのだ。
「では、開場までもうしばらくお待ちください。」
男性は楽屋を後にした。その時、廊下の向こうから大きな声と小さな声で鼻歌が聞こえた。見るととても巨体で太った女の人が小さな子供を連れていた。2人で鼻歌を歌っていて親子かと思ったが私はその2人に奇妙な違和感を覚えた。
子供は犬の首輪のようなもので繋がれ、そのリードを巨大な女の人が持っているのだ。子供が動くたびにチリンチリンと音がするのを見ると首輪には鈴が付いており、椿の花の絵が掘られていた。
2人はゆっくりと近づいてきて、仮面ごしに子供と目があった。小学校低学年ぐらいだろうか。目があって驚いた。まるで人形のように美しい顔をしていた。だけどそれと同時に恐ろしかったのは、顔や肌にところどころアザや傷が見えたことだ。私は直感的にこの2人は親子ではないと感じた。2人が去ったあと、ミラーボール団長に尋ねる。
「あの、ミラーボール団長、あの子供絶対に助けてあげないとダメな気がするんですけど…。」
「やだ!」ミラーボール団長は即答した。
「はぁ?いやいや、みたらわかるでしょ!絶対危険ですよ!」
「ボクは子供が苦手なんだもん。」ぷい、と団長はそっぽを向く。そういえば前にも霊体トカゲの宗教施設でそんなこと言ってたな。でもこの人最終的な宇宙の魂の集合体なんじゃないのか?
「んな大人げない。あなた自身が小さな子供だったことだってあるんでしょう?」
「だから怖いのさ。」
「え?」
「子供の時に刻み付けられた傷は下手したらその人間の一生分の運命を決定付けてしまうことがある。だからこそ子供から見たら大人に見えるようなボクたちが下手に差し伸べた優しさがそのコの心に消せないものを残してしまうのが怖いんだ。相手に優しさを与えるというのは責任を伴うものだよ。」
「だからこそ今傷ついてる子を救わなくちゃダメじゃないですか!命に関わるかもしれないんですよ!?」
私が大声を出したので辺りが静まりかえる。ミラーボール団長はしゅんと肩を落とした。
「本当に、キミの言う通りだ。」
会場の時間になり、舞台が競り上がってくるタイプのステージに上がった。競技場ぐらいの広さの会場を見下ろすような形でどの席も人で埋まっている。中には顔を見たことがある有名人もいて、改めて果実の同盟というものがどこまで浸透しているのかを知ることになった。
「レディースアンドジェントルメン!今日は我らがフェリス・ウィールのオークションへようこそ!ボクはオークショニアのミラーボールだよ!よろしく♪」
団長がサングラスごしにウインクしたのがわかった。会場の中央に滑車が13台着いた観覧車が競り上がってくる。カラフルな滑車だがどこか異様な感じがした。何故ならその観覧車には窓が一つもなかったからだ。窓のない観覧車は見た目にはカラフルに塗られているが、どこか棺のようなものを連想させた。
「それでは、1番からどうぞ!」
1と書かれた滑車が下に止まる。扉が静かに開き中からまだ10歳にもならない少女が出てきた。少女はお辞儀をすると、スタンドマイクの前に立った。息を吸い込み歌い出す。なるほど、綺麗な歌声だ。
歌が終わり会場が拍手をする。一人ずつが何か札を上げている。そこには1000万や1億といった高額な数字が書かれている。まさか、このオークションは。
「果実の同盟の会員にはまだ10歳にも満たない子供達を好む奴らがいるんだ。子供達はどこからともなく誘拐され、芸を仕込まれ、彼らに「飼われて」いく。」
ミラーボール団長はとんでもないことを説明した。
「飼われるって、そんなのダメでしょ!」
「子供達の悲鳴や恐怖、負の感情はそのまま世界のとぐろである爬虫類の生命を持続させる。少なくとも彼らはそう信じている。」
何を言っているのだ。そんなことのためにたくさんの子供達が犠牲になるのか。
私が唖然としている間もオークションは進んでいく。子供達は皆番号で呼ばれ、玉乗りやジャグリングなどの芸を披露していく。まるでそこに彼らの意思は介入されないかのように値段がつけられていく。
ようやく最後の観覧車が回ってきた。13番。それは悪魔の数字のように音もなく扉を開いた。
チリン、チリン。
聞き覚えのある鈴の音とともに現れたのはさっきすれ違ったあの子だった。やっぱり美しさがダントツで違う。
少女のようにも見えるが、少年なのだと私は感じた。その子はぺこりとお辞儀をすると、一斉に四方に花吹雪を散らせた。会場に歓声が沸くと、その子は側転で何回も辺りを動き回り、高くまでジャンプしたり、ボールの上に乗ったりとにかく体操選手がやるような人通りの動きを披露して見せた。
会場一体が拍手に包まれる。挙げられる札も2億やら5億やらと高額になっていく。こんな素晴らしい動きができる子が大人に飼われていくなんて信じられない。
13番の子がお辞儀をして観覧車へ戻っていくのを見て私は思わず聞いてしまった。「怖くないんですか?このままだとあなたは飼われてしまうんですよ。」
その子は私の顔を驚いたように見た。そして言った。「こわくないデス。ぼくはもういたいのもかなしいのもぜんぶなくなりました。」その目を見て、わかった。まだ子供だがそれは全てを受け入れ、諦めた者の目のように真っ暗だった。
「ぼくのおかあさんやおとうさんもぼくをぶっていましたから。ぼくがとうめいになりそうになっていたときにいまのママにかわれたんデス。だからあたらしくぼくをかうひとがかわるだけデス。」
服の隙間から見える痣や傷跡はそれが無償の愛によってつけられるものじゃないことがわかる。実の両親からなのか、誘拐されてからのものなのか、その両方か。気づいたら私はその子の手を取って走り出していた。
「あっ!何してる!」「その子は私のよ!」
会場中からそんな声が聞こえる。「あんたはその子にいくら払うんだ!!」
どこに逃げたらいいのかわからずとりあえず楽屋まで行こうとすると、ミラーボール団長が右手を上げた。
会場が時間が止まったようになる。団長は口を開いた。
「無量大数。」
「は?」
「キミたちに無量大数といっても足りないぐらい溺れるようなお金をあげよう。だからここにいるコたちはボクがもらっていくよ。」
「何言ってる!?第一そんな金どこに…。」
開場の人々がいい終わるより先に天井からどさどさと世界中の札束が落ちてくる。皆手に取ろうとするが、その間も紙幣は溢れることをやめない。するとどこからか、大量の鳩がやってきて会場のドアのところにタイムワープが立っていた。
「果実の同盟の会員達め!お前たちの悪事は全て録画させてもらった!これより白鳥会による掃討作戦を開始する!」
何やら武器を持った人達が会場の人を取り押さえたりしている。「ボクたちもどうやら出ないといけないようだね。」
ミラーボール団長が言って、サーカスのみんなは観覧車の中の子供達を連れて外へとかけだした。
13番の子はクロ・ヴィシャスに背負われていた。
タイムワープがミラーボール団長を睨むのがわかった。
「そんな顔しなくてもボクは人を攫わないよ。このコたちは元の家に帰すつもりだ。」
ミラーボール団長は言葉通り、13人の子供達全員を列車に乗せると世界中を飛び回り彼らを元の家に返した。
やっと最後の一人、13番目のあの子の家の前に列車が止まる。そこはとても人が住んでるとは思えないボロい家だった。ミラーボール団長も私もそれだけで何かを察したので13番の子に向き直った。
「確かにキミはこのままこの家にいても透明になるしかなかったんだね。ねえ、キミさえよければボクのサーカスを一緒にやらないか?宇宙最大のサーカスを一緒に作ろう。」
13番の子の瞳は空洞だった。椿の絵が描かれた鈴がチリンと鳴る。
「だけどぼくさあかすなんてわからないデス。」
「みんなを幸せにするものだよ。」ミラーボール団長は言った。
「しあわせ?それはなんですか?」
「誰も痛くも悲しくも怖くもない気持ちのことだよ。キミの名前はなんていうの?」
「13ばん。」
「その前はなんて名前だった?」団長の声が優しく聞こえる。その子は静かに口を開いた。
「たから、デス。ぼくのほんとうのおとうさんがいきていたときにつけてくれました。ぼくのおとうさんのすきなはなはつばきのはなです。」
もう一度、首につけた鈴がチリンと鳴った。
「しかしミラーボール団長にもいいところがあるんですね。子供が苦手なんじゃなかったんですか?」
たからくんが眠ってしまってから車窓の銀河を眺めて私は言った。
「なんだいそりゃあ。ボクにいいところがないみたいじゃないか。向き合うのが怖いといっただけさ。傷ついているコがいたら助けるのは義務じゃないか。」
ミラーボール団長は何故かスケッチブックにクレヨンでキリンの絵を描いている。この人が一番子供なのかもしれない。
「世界を維持するのに子供達の恐怖や痛みを集めるなんてのはいつか同じ苦痛が返ってくることを知っていなくちゃね。子供達が笑顔でいられる世界にならなくちゃ大きな子供達の心の幸せもあり得ないのさ。」
ミラーボール団長は描いた絵を紙飛行機にして折ると、窓から煌めく銀河の中にそれを飛ばした。