天使の部屋
「あ、お茶が切れた。」
水出しのお茶の葉っぱが容器の中にもうないことに気づいたミラーボール団長が言った。
「もうないんですかね?」
私が聞くと団長は頷いた。「うん。これで最後だったんだ。そろそろ新しいのが欲しいと思っていたところだよ。」
「このお茶はとても美味しかったですもんね。一体どこで手に入れたんですか?」
「ボクが列車に乗った時からあるスペシャルなお茶だよ。ということで市場に探しに行こうと思う。」
ミラーボール団長は帽子を深く被り直すと本棚から一冊本を取った。涼しげな顔をした猫の表紙の本だ。私が生まれる前からベストセラーになっている有名な本だが、この本の中の世界に例のお茶があるというのだろうか。
ミラーボール団長は本を扉の横の隙間に差し込んだ。
「これも全て世界存続計画の一端さ。」
列車の表面のミラーボールがくるくると回転し、いつかのようにカラスのシルエットが浮かび上がった。
「これ!クーン!お茶ぐらい作らんか!」
大きな声で祖父が怒鳴る声が聞こえますが、クーンは聞こえていない振りをして作業を続けました。
クーンは祖父と二人暮らしです。祖父は宝石を削ってアクセサリーにする店を営んでいます。クーンが幼い頃、両親は病気で亡くなってしまい、唯一血の繋がりがあったのがこの祖父でした。クーンはずっと祖父の仕事を側で見て手伝ってきました。大きくなるに連れ、クーンは自分は芸術家になりたいと考えるようになりました。陶器でものを作るのです。
しかしクーンのお祖父さんはクーンには芸術の仕事とは関係ない雑用しかさせてくれませんでした。更にクーンは空いた時間を使って作品を作っては毎月の市場に売りに行きましたが、一向に作品が売れることはありませんでした。しかしクーンは一般の人達には自分の芸術は理解できない、いつか優れた感性を持った著名な人物が自分の才能を見出してくれるに違いないと信じていました。
そのためには好きではない雑用をやる時間は彼にとって無駄な時間でしかなかったのです。
次にクーンが作ろうとしている作品はこれまでにない超大作になるつもりでした。ずっと恋人を待ち続けている猫の置物を作る予定でした。人間のように背広を着て紳士のような猫をクーンは男爵と名付けました。
そして何年か経ってから恋人の雌猫を作ることによって、作品として完成されるというものです。
ようやく全体的な部分は完成したものの、何が足りないとクーンは思いました。せっかくこれから恋人と会えるというのに何故か猫からは頼もしそうな感じがありません。
クーンは頭を捻ってとりあえず今までの作品を持って市場へと向かいました。
どこか古い時代の田舎の市場で私は風船を配っていた。サーカスのみんなは思い思いに簡単なジャグリングやフラフープを披露している。子供達は綿飴やアイスクリームを片手にそれを眺めている。
ミラーボール団長はお茶の葉っぱを買いに行くと出かけていた。何故か風船を持って。
クーンはいつものように布の上に作品を並べました。これだけたくさん作っているのだから、数打ちゃ当たるだろうと考えて。しかし足を止めるものはありません。たまに数人作品を手に持ってみる人がいれば良い方です。クーンは虚しくなりました。もしもこのまま一生売れないままだったら、永遠にあの家で雑用ばかりやることになります。
クーンが雑用をやりたくないのは、好きなことではないからだけではありませんでした。クーンは不器用だったため、あまりたくさんの仕事を一度に出来ないのでした。これではお祖父さんの役にも立てません。だから自分が得意なことでお祖父さんに楽をさせてやりたい気持ちもありました。
クーンは誰にも気づかれないように目頭を熱くしました。 すると遠くからコツ、コツ、と靴を鳴らす音がしました。
見ると風船を持ったシルクハットの人物がにこにこともニヤニヤとも言える笑顔で歩いて来ていました。
シルクハットの人物はクーンの店の前で足を止めました。クーンは慌ててお客さん用の笑顔を作りました。
「い、いらっしゃい!良かったらどうぞ見て行って!」
どこかのお金持ちでしょうか。立派な服装をしています。格好は男性ですが、女性みたいな顔立ちをしています。更に髪の半分が白、半分が虹色でした。この時代にしては画期的です。とても幼い子供みたいな感じもしますが、何百年も生きてきた老人のような印象がありました。その人物はクーンに聞きました。
「この辺にとても美味しいお茶を出す店があるんだけど、キミ、知らない?」
自分の作品に用があるわけじゃ無かったのか、とクーンはがっかりして答えました。
「あー…それならあの喫茶店のことじゃない?」
しかし相手は首を振ります。「いいや。確か宝石を削ってアクセサリーにする店だったと思うんだ。」
クーンはぴんと来ました。「それは僕のお祖父ちゃんの店だ。」
相手はクーンがそう答えることをわかっていたような笑みを見せました。「本当に?それならキミ、案内してくれる?」
クーンは躊躇しましたが、もしこの人が優れた芸術家かお金持ちなら自分の作品を見てもらうチャンスだと思い案内することにしました。
クーンの家に着くと、シルクハットの人物は目を輝かせました。そこにはありとあらゆる宝石がありましたから。
「わああ!すごいね!どれも生きているみたいだ!」
「あの、あなたは一体?」
クーンが聞くと相手は帽子を取って挨拶しました。
「失礼。自己紹介が遅れたね。ボクはミラーボール。サーカスの団長なんだ。」
サーカス、か…。あちこちで旅をして見せ物をする興業だがクーンの作品をどうにかしてくれるものではないだろう…。
家に着くと祖父は出かけていて留守でした。クーンは仕方なく、自分がお茶を淹れることにしました。
祖父から教えられた通りにやってきたことは、クーンの体に染み付いていました。
クーンはそうっとミラーボールの前にお茶を出しました。
「どうぞ。僕が作ったのでは味の保証はできないけど。」
ミラーボールはふーふーと湯気を吹くとお茶を飲みました。
「うん!美味しいね!噂通りだ。宝石屋の孫、クーンのお茶は本当にその日によって違う味が楽しめるって!きっと何十年何百年と世界中から愛されるね!」
その言葉にクーンはショックを受けました。僕のお茶が愛される?だったら自分は芸術家にはなれないということなのか。
「あれ?あまり嬉しくなかった?」
「……そっか。僕は芸術家には向いてないってことなんだね。」
「芸術?キミは何か作っているの?もしかして、さっきの市場に並んでたやつ?」
クーンは涙を流しました。「そうだよっ!僕は芸術家になりたいんだ!でも誰も僕の作品を理解してくれない!僕には才能がないってことだろ!?」
ミラーボールは立ち上がると言いました。「キミの作品もう一回見せてもらってもいい?」
クーンはミラーボールを自分の部屋に連れて行きました。まだ売りに出していないけど毎日一作品ずつ作っていたものが山のようにありました。
ミラーボールは1個ずつ手に取って眺めていました。その表情は何か懐かしい宝物を思い出すような顔でした。
そして言いました。
「………これは何に使うのかわからないね。」
「飾りだよ。部屋に飾るんだ。ただあるだけでその場所にいる誰かを幸せにするような作品を作りたいんだ。」 クーンは説明しました。
「キミの気持ちは作品からも伝わってくるよ。だけど他の人達は、どうかな?キミにキミの作品で幸せにしてくださいなんて頼んでない。みんな自分にとってどれだけ利用価値があるかで選んでるんだ。今のやり方を続けていても、世の中の人達にはキミの作品を見ることでどのように自分の人生に役立てたら良いのかわからない。」
「…そんな!芸術は感じるものだろう?センスだよ!それならやっぱり諦めて現実的な職種に就けってのか?」
「キミはなぜあるだけで幸せになるような作品を作りたいんだい?」
ミラーボールはクーンの言葉を肯定も否定もせず逆に聞き返しました。クーンは初めて作品を作った時のことを思い出しました。
「…お祖父ちゃんが笑ってくれたからだよ。それが嬉しくて色々作ったらみんな喜んでくれた。だから僕は勘違いしてしまったんだ。僕の作品は見てる人の心を動かすぐらいすごい、それこそ世界中を幸せにできちゃうぐらいにって。」
「世界全体を幸せにする簡単な方法を知ってるかい?」
ミラーボールが聞きました。
「それはね、自分の身近な人を幸せにすることからだよ。それは何も好き勝手に何でもやっていいわけじゃない。ちょっと好きなこととは関係ないことでも、自分の大切な誰かが役に立つなら積極的に動くことから始まるんだ。」
クーンはお祖父さんの顔を思い浮かべていました。両親がいないクーンを育ててくれたお祖父さんには感謝してもし足りないぐらいでした。ミラーボールは窓辺に目をやりました。
「おや?これは…。」視線の先にあるのは完成間近の猫の置物でした。ミラーボールはそれに近づいて眺めました。
「これは、悪くないね。」
「あ、ありがとう!」クーンは立ち上がってお礼を言いました。「これは今度の自信作なんだ。」
「確かに、目がエメラルドでできていてとてもいいね。名前はあるの?」
「名前?ああ、こいつの名前か。エンゲルス・ツィマー男爵だ。エンゲルス・ツィマーっていうのは目の中にほら、細かい傷があるだろう?これのことで太陽が当たると光り輝くんだ。天使の部屋って意味がある。」
「ふーん。まるで誰かを待っているみたいだね。」
「そうなんだ。こいつは恋人を待っている。恋人の人形が出来て初めて完成するんだ。」
「それは、すごくいいね。ずっとずっと待ち望んでいた誰かに会うのは本当に素敵なことだ。だけど、まだ何か足りないね…。」
ミラーボールはクーンが感じていたことと同じようなことを言いました。そしてミラーボールの頭を見てハットしました。(これは言葉遊びです。)
「わかった!帽子だ!優れた男爵にはシルクハットが必要だもんね!早速作らないと!ちょっとその帽子見せてもらえる?」
「わざわざ見せるつもりはないよ。」ミラーボールは静かに笑うと帽子を脱いで人差し指でくるんと回しました。するとたちまち帽子は小さくなって丁度猫男爵エンゲルス・ツィマーの頭にすっぽり被るサイズになりました。
「この帽子はキミにあげよう。世界をたくさん見てくるんだ。」
クーンにもツィマー男爵にも両方に言っているように聞こえました。
ミラーボールはお茶の葉っぱを幾つか買っていくと出て行きました。しかも何と5袋分の宝石をお礼にくれました。お祖父さんが帰って来たら驚くでしょう。
「本当にお茶だけでいいの?何か好きな宝石とかないの?」
クーンが聞くとミラーボールは少し考えていいました。
「ボクの好きな宝石はたった一つなんだ。それは姿を映す鏡。それを見るだけで誰もが世界にたった一人しかいない自分という宝石に気づくことができる。」
鏡は宝石ではないんじゃないかとクーンは思いましたが、とても良い言葉だとも思って黙っていました。
ミラーボールがいなくなってから数時間後、お祖父さんが帰ってきました。お祖父さんはびっくりしました。自分がいない間にクーンが家の掃除から仕事の雑用まで全部やっていてくれたからです。
「こ、これは…!クーン、やればできるじゃないか!」
クーンはお祖父さんの前にとん、とお茶を置きました。
「世界を幸せにするにはまず身近なところから。お茶の味は保証できないけどね。」
窓辺に置いてあるシルクハットを被った猫の男爵の目が星の明かりに照らされ、天使が入り込んでいるようでした。
夜になり市場が終わる頃になって列車に戻ることになった。ミラーボール団長はふらふらと風のように帰ってきた。見るとトレードマークでもある帽子が頭から無くなっている。
「ミラーボール団長!帽子が!」
団長は歯を見せて笑った。「本当に必要な者のところへあの帽子は渡るんだ。そしてボクの元に戻るべき時に戻ってくる。それよりやっとお茶を見つけたよ。」
ミラーボール団長の手の中にはお茶の葉っぱがあった。表記を見て驚いた。「クーン・エンゲルス!?それってあの有名な芸術家じゃないですか!実家のお茶が評判でお客さんが集まったら更に作る作品みんな優れていることで有名になった、でも生涯実家の店で働き続けたんですよね?」
ミラーボール団長はこれからお茶の葉っぱをみんなに分けられるよう倍増するつもりだと話した。やり方は知らない方が良いだろう。クーン・エンゲルスの言葉で私がとても好きな言葉がある。
世界全体を幸福にするには、まず身近な人を幸せにするんだ。
浮気なボクら
レコードの針を落とし、円盤がくるくると周り出す。
チッチキ、チッチキ、チッチキ、チッチキ、ベーベーべーベベべベッベレベッベッベー!
暖かく宇宙的な電子音と馬の蹄が混ざったようなインスト音楽がかかる。
「まさかミラーボール団長もこういう音楽が好きとは知りませんでした。」
「当たり前だよ。ボクはこの列車に乗った時から宇宙のありとあらゆる音楽を聴いて来たんだ。その中でもやっぱりこのテクノポップというジャンルはとても素晴らしいよ。まるで聴いた瞬間雷が自分に落ちてきたみたいな衝撃だったよ。ボクの全てが一気に充電されたみたいな気持ちになったね!」
ミラーボール団長と好きな音楽について話すのは楽しい。私達はテクノポップや昭和歌謡という音楽を片っ端から聴いていた。クラシックやジャズの時もあるけど、やっぱりテクノは盛り上がる。
「ああ、一度でいいからこの時代に行ってみたいなあ〜。」
私は目を輝かせて言った。私が生きる時代よりももっと制約がなくて日本人の心が豊かだった時代。きっと楽しいに違いないだろう。ミラーボール団長は本棚から本を物色している。ふと指をぴたっと止めて言った。
「行けない、こともないね。」
ミラーボール団長が手にしていたのはチワワが表紙の本だった。どことなく雑誌のような感じもするその本には「狂犬チワワ」と記されている。
「え!行けるんですか?あの時代に!ってことはあの頃のミュージシャンと会えたりして!」
「いや、会うのは別の誰かだろうね。ミュージシャンには、また今度会えるさ。」
確かにいきなりあの時代のミュージシャンに会えたりしたら興奮して倒れてしまうだろう。どちらにせよあの時代に行けるのなら楽しみだ。
「これも全て世界存続計画だものね。」
ミラーボール団長はそう言うと本を扉の横にセットした。
月の向こうから降り立った列車はマンガみたいな一軒家に姿を変えた。何もない空き地に急に家が現れたわけだが、この街に住んでいる人にはまるで最初からそうあったようにしか感じられないというわけだ。
夜が明けて外に出てみるとその空気感をゆっくりと吸い込んだ。昔ながらの駄菓子屋や電気屋、書店や銭湯、煙草屋、スナックなどがどこも開放的に並んでいる。
この時代の人からしたら何気ない風系なのだが、人と人が互いを思いやって商売を営んでいるなんてなんだか特別なお祭りに来た時みたいな興奮があった。
子供達はラムネサイダーや筋肉マン消しゴムを勝ったりなりきりピンクレディーセットを買ったりしている。ファミコンが置いてある店ではみんなが今か今かと自分の番を首を長くして待っている。「ゲームは1日1時間だぞ!」なんて言う声がする。
これだけ見どころがあるってことはレコード屋はもっと面白いに違いない。教えてもらったこの街の地図を頼りに次の路地を左に進む。レコード屋まであと少し、と思っているとそこに学ランを来た男が4、5人屯しているのが見えた。
やばい。ツッパリだ。
「何だぁ?マブイねーちゃんじゃん。一人かぁ?」
シカトして真っ直ぐ進む。実のところ、私は不良が嫌いだ。まず大体にして不良になる人は偏差値が低くて品がない。学生運動の人にあるような主義主張があり、理想的な思想を勉強するわけでもなく学生カバンをへこませてみたり、バイクを派手にしてみたりということをかっこいいと思ってやっている神経がとてつもなくダサい。だからみんな思想を持てというわけではないが、とにかく勉強もろくにせずにそういうことをやって最終的には暴力や犯罪に走るというところが本当にダサいし、社会にとって害悪でしかないと感じている。
更にそういった人間は全員ではないが、大人になると途端に更生して社会のルールをそれなりに守ったまま選挙では知名度のある政治家に投票してみたりするのだ。という私の超個人的な偏見なんてまだ10代そこらの徒党を組みたがりのツッパリガキ野郎には人の頭の中など想像もできないわけで、
「何何ィ?逃げなくてもいーじゃん?」
囲まれてしまったわけである。
「俺達これから海行くんだけどおねーさんも遊びに行かね?」
「……いや、行くところあるんで、海嫌いだしいいです。」
「…………そ、そー言わずにねぇ。俺達優しーしよ。」
面倒臭えな。と、心の中の声が出そうになるがそれで殴られても痛いだけなので黙っていると「何してんの。」と声がした。
「げぇっ!中野さん!!」
中野と呼ばれた人はちょうど私がこれから向かおうとしていたレコード屋から出てきたように見えた。
リーゼントや学ラン、履き潰した靴から不良だとはわかるが何故かこの人だけ他の不良達と違って品があるように見える。
「なんか嫌がってるようだしやめてやれや。」
中野という人が一言言っただけで不良達の表情が変わった。そのまま「じゃ、じゃあ、お疲れ様です!!」とか言って退散していく。
ひとまず面倒なことは切り抜けたみたいなので「ありがとうございます。」と言ってレコード屋に行こうとすると、「あんた見たことない顔だな。この辺の人間か?」急に声をかけてきた。
「あ、いや、ちょっと旅行みたいな感じで…。」
「へえ、レコードとか聴くの?」
「まあ、好きですね。」
「じゃあちょっともう1回見ていくか。あいつらいるとゆっくり見れねーし。」等と言ってもう1回レコード屋に引き返して行った。
♪♪♪
「うわああ!すごいすごい!やばーー!」
「何がやばいんだ?」
思わず言ってしまったがそういえばまだやばいなんて大変な状態でしか使わないような時代だったんだ。
「ああ、いえ、好きな音楽がたくさんありすぎて、自分の意識が持つかわからないぐらい興奮しちゃったんですね。」
「変なこと言うやつだな。」
自分の時代では絶対手に入らないような昔のバンドのブロマイドがあり近づいて手に取る。こんなすごいものが50円で売ってるのか。
「う、うおお…。」
「どういう音楽が好きなんだ?」
私は即答した。「そりゃあもちろんテクノポップです!」
あ、言ってしまって私は後悔した。この時代の不良はAちゃんとかそういった感じのアツい猿真似ロックが好きでテクノみたいなシャバいハイソぶった女みたいな音楽は受け付けないと聞いたことがある。絶対根暗なアングラだと馬鹿にされる。まあ否定はしないけどサ!(気分まで昔の雑誌みたいになってきたよ。トホホ…涙。)
しかしこの中野という人はあまり気にもせずに言った。
「ああ、じゃあそういうのだったらあの辺だわ。」と向こうの棚を指差した。その方向に行ってみると、なんと普段私がインターネットを介さないと聞けないような曲のレコードが大量にあった。アーティスト直筆のライナーノーツがついてるのもあってかなりプレミアムだ。やばーー!
「わーすごい!これも!これも!」
一枚一枚のレコードをまるで宝物を見つけたみたいにして手に取る。すると中野という人も語り出した。
「やっぱりナウいよな!テクノって!この曲も教授プロデュースのもあるけど俺はハリーさんプロデュースの方がいいと思うんだよ!あ、テクノポップ好きなら御三家って知ってるか?このバンドなんてパンクの要素もあってプログレで今すごくホットなんだよ!」
急な熱弁に私は驚いた。こんななめ猫がしてるような格好をそのまましてるような不良がテクノを語っている。そのギャップに唖然としてしまった。
なんでテクノカットにせず、リーゼントにしたのだろう。なんで学ランじゃなくて人民服にしないのだろう。聞きたいことはたくさんあったが、本人が楽しそうだからいいのかもしれない。
「あ、悪い。喋りすぎちまった。急についてきて、そんな話したら気味悪いよな。」
「い!いやいや、あまり話合う人って若い人でいなかったから全然いいですよ!」
「若い人?まあいいか。俺もさっきのやつらと変わらねーしな。あんたがあの歌手に似てたから声かけたんだよ。」
彼が示した先にはこの時代の知る人ぞ知る女優兼歌手だった。「お姉さん、名前なんていうの?」
「………あなたの名前はなんて言うんですか?」私は確かめるように聞いた。ちゃんとした人なら自分から名乗るのが礼儀だ。「俺は、中野だ。中野ヤスユキ。」
「私は弥栄ヨリです。」
中野ヤスユキさんは私を真っ直ぐに見て言った。
「ヨリさん、明日サテンでレスカしねぇ?」
☆☆☆
レコードをいくつか買って列車(形は家)に戻るとミラーボール団長がこの時代の新聞を広げて読んでいた。
「ああ!お帰り!」
ミラーボール団長は私に駆け寄るとレコードの入った袋を確認した。鼻歌を歌ってソノシートをぺりぺりと剥がす。
「サテンでレスカってどういう意味ですか?生地で自傷的な?」
あの後中野ヤスユキさんは明日レコード屋の裏で待ってると言った。
ミラーボール団長は何事もなく答えた。
「うーん、そりゃあ交際して欲しいっていう第一段階だねえ。」
「はあ!?」ありえない。だって今日会ったばかりの人だし、相手は不良だ。
「いやいやいや、そんなわけないでしょ。大体私が誰かに愛されるわけがないですから!」あまりにもくだらなすぎて笑ってしまう。
「なんでそう思う?キミは宇宙にキミ一人しかいない。キミを愛する人だって星の数ほどいるさ。」
「まっさっか!!それより、この世界ではサーカスはやらないんですか?」
「まあ、それなりにみんな幸せそうだからね。もうすぐこの市にはこんなものができるみたいだよ。」
ミラーボール団長が見せた新聞記事にはこう書かれていた。
「東京ドリームランド 建設決定」。
それは私の時代でさえ世界中にある有名な遊園地だ。アニメ映画のスタジオが手がけるパークにはキャラクターに会えたり映画の中に入ったような世界観が楽しめる。更にある意味昔から都市伝説もよくあるスタジオだ。
社長が果実の同盟の一員で子供の誘拐に使われてるとか、更にその社長が冷凍保存されてるとか。
まあそんなのはともかく新聞記事の都市名を見てはっとした。1980年代のここは、まさか東京ドリームランドができる前のあの場所か。東京と言われてるけど東京ではないことも有名だ。
「ボクらが何かしなくたってあと2、3年でハピネスになれるんじゃない?」
ミラーボール団長はやっと休めるみたいな表情だ。
「それに、誰かに愛されてその人と添い遂げる人生も、悪くない。」
団長は私にそう言った。
次の日約束のサテン(喫茶店)に行くと中野くんは本当に待っていた。
「どうも。」
「嘘だろ!?本当に来てくれるとは…思わなかったぜ…。」
中野くんは照れてるのか頭を掻きながら言った。
「レスカでいいか?レーコーとかもあるけど。」
「いえ、レスカでいいです。」
昨日帰ってから調べてみたらレスカとはレモンスカッシュのことなのだ。確かに甘いものよりはこっちの方が良い。
喫茶店には小さなレコードプレーヤーがある以外にはそこまで目立ったものはなく、なんというか目の前の中野くんのイメージからはかけ離れたような感じがした。
すると店の人がレコードをかけた。夏の透き通ったイントロに合わせて男の人のボーカルが重なる。確か我々が昨日盛り上がったバンドのドラムの人がやってる別バンドの曲だ。
「この店、いいだろ。俺が好きな感じの曲をかけてくれるんだ。」
中野くんは歯を見せて笑った。
☆☆☆
ミラーボール団長は屋台で買ったたこ焼きを食べながら喫茶店の外からヨリの様子を見ていた。たこ焼きみたいに頬をぷくーっと膨らませている。
一緒に見ているのは蛇使いのマッシーとピエロのハッピーである。
「こういうのマブいっていうのかい?」マムシを撫でながらマッシーがいう。
「ぜーんぜん。眩しくないよ。面白くない。」ミラーボールはたこ焼きを食べる手を止めない。
「あんた、ヨリちゃんを応援したいのかしたくないのかどっちなんだよ。」ハッピーが言った。
ミラーボールはたこ焼きを飲み込むと答えた。
「自分を愛せるようになることはとても必要なことさ。だけどここがヨリの旅の終わりになるのならボクとしてはつまらないんだよ。」
「だけどいつかはヨリちゃんがヨリちゃんでいられる世界を自分で見つけなければならないんだぞ?」とマッシー。
ミラーボールは聞いているのかいないのかたこ焼きにチョコソースをかける。
「まあ、それだけじゃないんだけど。」
ミラーボール団長はチョコをかけたたこ焼きをハッピーに差し出す。「キミも食べなよ。」
「だから俺はたこ焼きが苦手なんだってば!」
♪♪♪
喫茶店を出ると「どこに行きたい?」と中野くんは聞いた。レコード屋は昨日行ったのでいいやと思い私は「この辺には海はあるんですか?」と聞いてみた。
そこで海に行くことになった。始めてバイクの二人乗りをした。海岸沿いを走る時に風が当たるのが良いと思った。こういうことを人はロマンチックというのかもしれない。だけどそれと同時に変な違和感がある。
こういう二人乗りとかそういったことをした覚えはない。だけどたぶん自分は何年か前にもっと心が踊るようなことをした記憶がある。夜の街を誰かの手を引いてどこまでも走ったような。それに相手は一人ではなかった気もする。
たぶん何人かで。それは私が見た夢の中の記憶と関係があるのかもしれないし、もっと前のような気もした。
海は砂浜というよりどこまでもコンクリートの塀とテトラポットが並んでいるだけの風景が続いていた。バイクを停めて降りてみたがそんなに面白いところは何もない。
「なんか、思ったより何もないところですね。」
「そりゃそうだろ。もうじきここには遊園地ができるからな。」中野くんはそう言うとその場に腰を下ろした。
「ほら、ニュースでやってるだろ。東京ドリームランド。あれがここにできんだよ。東京じゃねーのにな。」
中野くんは海の向こうの地平線を見て話し始めた。
「昔ここは漁業の街だったんだよ。この場所も海だった。だけどある日近くの工場の排水で海が汚れて、漁業が成り立たなくなった。だからこの街を活性させるために新しい事業としてここに海外からの遊園地を作る計画に乗ったんだ。それからは埋め立て工事ばっかりでよー、俺なんてガキの頃それを知らずに工事現場の近くに基地を作ったのに夏休み終わったらもう無くなってんだよ。今思うとあの基地のあった場所が丁度ドリームランドのできる場所だったんだな。」
中野くんは寝そべって太陽を見上げた。
「みーんな変わっちまうんだ。俺達にとってはあの秘密基地がドリームランドだったってのに。」
私は黙って聞いていた。東京ドリームランドは私も子供の頃から何回か旅行で行ったことがある。パークや映画の中に好きなキャラもいて、こんなに楽しいところはいつかみんなにも共有したいと思っていたぐらいだ。誰に?
私が自分の記憶の穴を確かめようとしているのには気づかず、中野くんはむくっと起き上がった。
「なあ、この後まだ暇か?良かったら俺の家に来てくれる?」
☆☆☆
双眼鏡で様子を見ていたミラーボールは思わず手に持っていたねり飴を落としてしまった。
「いやいやいや!それはダメでしょ!」
「何があっても決めるのはヨリだ、でしょ〜?」ナイフ投げの巡が悪戯そうにねり雨を舐めながら話す。
ミラーボールは渋々と眉を困らせながらイカの干物を齧った。
見せたいものがある、という理由で中野くんの家に行ってみると、部屋の中はまるでツッパリとは程遠い部屋だった。
テレビにファミコンが繋がれ、部屋の隅にはラジカセとシンセサイザーがある。偶然にもミラーボール団長が持ってるのと同じ機種だ。部屋にはレコードや音楽雑誌の切り抜きがたくさんあった。最初に話した時に感じていた直感は当たっていた。この中野ヤスユキという少年は見た目こそツッパリだが中身はテクノなのだ。
中野くんがラジカセを回すと先日のものだと思われるサウンドストリートが部屋中に流れた。
「テープに撮っておいたんだ。」
サウンドストリートを聴きながら中野くんは雑誌やレコードを解説する。番組が終わると、「今ナウい曲はこれなんだ。」といってピンク色のレコードをかけた。
テレレレー、テレレレー、テレレレーレーレレレレー。
私も大好きなテクノポップの伝説的バンドのイントロだ。確か火事にあった美術館の曲だった。そういえば、私の地元にも火事にあった美術館があった。あの道は確か中学校の陸上練習コースだ。なんで今そんなこと思い出したんだろう。
「それでよー、実は自分でも曲を作ってみたんだよ。良かったら聴いてくれるか?」
「どうして、テクノが好きなのにツッパリなんてやってるんですか?」
私の急な質問に中野くんが固まったのがわかった。そしてはぁーと大きなため息を吐いた。
「やっぱりそう思うよなぁ。別に深い理由があるわけじゃねーんだ。俺だってツッパリ出したのは高校になってからだが、なんか結構強かったんだ。でもいつもなんか満たされなくて、そんなある日ラジオからTOKIOなんてイントロがかかってからはもう衝撃だよな。それまでの音楽体験を塗り替えられたぜ。」
大体そんなことだろうと思った。「あともう一つ、なんで私に声をかけたんですか?」
中野くんは頭を掻いて答えた。「い、いやぁ、本当に最初は好きな歌手に似てるマブいねーちゃんだなと思ったんだが、レコード屋で話聞いてるうちに俺と音楽の趣味が合ってると思ってな。ダチにはぜってー話せねーからよ。」
「なんで好きなものを隠すんです?友達でしょう?」
「だからツッパリがテクノなんか聴いてたらシャバい奴だって思われんだろ!」
「思われたから何なんです?人生は一度しかないのだったら好きなものは好きだと胸を張って言えばいいのです。」
「そんなことしたら近所の奴らからも笑われるだろ!」
しまった。こういう価値観は一生地元に留まって一つのコミュニティの中で自分の立場を守って生きていく人には通用しないかもしれない。ましてこの時代の人間ならなおさら。
「………ごめんなさい。言い過ぎました。今日はもう帰ります。」
私が立ち上がって外に出ようとすると「待てよ!」と中野くんが私の手を掴んでいた。
「さっき、好きなものは好きだと言えばいいって言ったよな。だったら俺はヨリ、お前が好きだ。旅行で来てるのはわかってるけどあんたさえ良ければここにずっといないか?」
突然のことに私は耳を疑った。私のことが好き?そんなこと言われたことない。私は誰からも愛されない人間なのだから。しかも相手はよりによってあんなに毛嫌いしていた不良である。でも、本当にたった一人、世界で一番自分のことを愛して大事にしてくれる人がいるなら、その人と共に生きていくことは悪くないかもしれない。富や名声が無くたって。
だけど、なんでそれをイエスということができないのだろう?
「……っ私は不良はあまり好きじゃないんで。人から変に思われるのが怖くて好きに生きれない人間も。」
私は中野くんの顔も見ずに家を出た。
戻るとミラーボール団長はにやあ〜っと笑っていた。気味が悪い。
「どうだった?楽しかったかね?」
「別に。私の性格の悪さが改めて分かっただけです。」
「そんなに悪いコだとは思わないけどね。キミはキミの秩序の中で真っ当に生きてるように見えるよ。それにツッパリに性格の悪さを決める筋合いはない。」
ミラーボール団長はメロンの入れ物に入ったアイスを食べている。
「ミラーボール団長は、私が列車を降りたら悲しいですか?」
「キミが決めたのなら、ボクが覚えていればいいだけの話さ。」
「じゃ、じゃあ例えば、私が歌ったり踊ったりするのも全部やめてこのまま日本のどこかの家庭に入って無難に生きて子供達に囲まれて生きる人生を送っても嬉しいですか?」
言ってることが訳わからなくなってくる。昔からこの手の話は苦手なのだ。女性は家庭に入って子供を持つことが幸福で世界を目指したり夢を語ってはならないという風潮が。
ミラーボール団長がアイスを差し出した。
「本当にキミを大事に思う人は、弥栄ヨリから歌やダンスを奪わない。」
ミラーボール団長と目があった。瞳の中に流星群が瞬いているようだ。一度でいいからその星の輝きを自分も瞳に灯してみたいと思った。全てを焼き焦がす一番星の前で、その光を受けたものは粉々の星屑になる。それらを更に振り撒いて世界に夢を見せるのだ。
♪♪♪
ヨリが出て行った後、中野ヤスユキはしまった〜とその場に頽れた。昨日会ったばかりの旅行で来た人を部屋まで連れ込んであんな風に言うのなんて良くないに決まってる。
だけどあのヨリっていう子はその辺のスケバンや女学生とも違い嫌な顔一つせずに着いてきた。危機感がないと言えばそうなのだが、あまり恋愛的な空気は発さずまるで昔からの友達みたいに話が弾んだ。彼の人生には今までいないタイプの子だったから仲良くなれるかとも思ったのだが、困らせてしまったようだ。しかも本当は不良が嫌いだったのに一日中付き合わせてしまった。
すると家のインターホンが鳴った。出てみるとこの前レコード屋の前にいた仲間が何人かバイクを停めて待っていた。
「なあ、中野さん、久しぶりにあそこ行かね?」
どこだなんて尋ねなくてもわかる。東京ドリームランド建設予定の現場だ。基地がなくなってからもあの場所は溜まり場としてよく訪れていた。
☆☆☆
パラリロパラリロパラリロという煩わしい音がして外を見るとバイクが何台か海の方へ行くのが見えた。乗っているのはやはりツッパリだ。
「なんだかエレクトリカルなパレードみたいだねー。」
ミラーボール団長はバイクの群れを見ながら上手いこと言ったみたいな表情をした。その中に中野くんもいるのを発見した。これから喧嘩だろうか。私にとってはどうでもいいことだけど。
でも本当にそうかな?どんな理由があっても暴力を正当化するのは私の道理ではない。それを見てみぬふりするのも。ましてこれから世界的に有名な遊園地ができるという場所でするのは違うんじゃないか。別に全国のツッパリを改心させる気はないけど。
「ミラーボール団長、一時的に工事現場でサーカスを行うことってできますか?」
ミラーボール団長の目が妖しく光る。
「全部キミのお気に召すままに。」
久しぶりに来たあの場所は何もない更地になっていた。本当にここに世界的な遊園地ができるというのだろうか。
やはり周囲には同じように地元のツッパリ達が集まっていた。彼らは時代の鬱屈や流行りもあるが、それより幼い頃からあったこの場所が埋め立てられ開発されていくことに行き場のない思いを感じていたのだ。
誰かの一言があったのかはわからない。だがいつの間にか彼らはバイクを鳴らし合い、メンチを切り合い、喧嘩に発展していた。そうすれば何かが埋まるかもしれなくて。
中野も角材で目の前の奴を殴ろうとした時、急にツッパリ達の中心からブワッと風が広がり、円形のテントが立ち上がった。入り口には「DreamLand」と書かれている。
「な、何だぁ!?」
ツッパリ達は突然のことに喧嘩を止めてテントをまじまじと見る。中には「やばい!マッポが来る!」と言って逃げ出す者も現れた。しかし風が強く吹いて上手く帰れない。
ツッパリ達は風に押されるようにして皆テントの中に入れられてしまった。行儀よく座ることのできない彼らだが、円形の席にいつの間にか座らされ腰はシートベルトで固定されていた。客席が遊園地のアトラクションみたいにぐるんぐるん廻る。
すると中央のステージからシルクハットを被った小柄な人間が出てきた。髪の毛の半分が白でもう半分は虹色だ。
その人物だけにスポットライトが集まると、喋り始めた。
「ウェルカムトゥロックンロールナイト!ドリームランド開演前に会えるなんてキミ達は幸福だね!」
「なんだおめー?」「わけわかんねーよ!」
「キミ達も大変だったね。道なりに走り続け、標識だらけの道を飛ばし続けて、腑抜け野郎共を煽り続けて来たのにそれでも心が満たされることはなかったんだものね。」
歌うようにシルクハットの人物は言った。どことなくヨリに似てるなと思った中野はまたヨリかよ!と自分に突っ込んだ。「それでも長い冬は終わり暗い時代は続く。だけどきっとキミ達が生きたこの時代も本当のハピネスに繋がっているんだ!」
シルクハットの人物は指を天井に向けた。
「きっと何者にもなれないと嘆いているキミ達に告げる!自分や誰かを傷つけるような意味のない争いは止めるんだ!」
よくわからない人物の前振りは終わり、サーカスが始まった。サーカスの演目が行われている最中も客席が上下や前後に揺れ動く。東京ドリームランドってのはこんなハイカラなもんなのか。ツッパリ達はいつしか小学校の時の気分に戻っていた。
動物の日の輪潜りや口から鎖を出す女の芸が終わると、今度は日本の伝統的な音楽がシンセの打ち込みされたアレンジで鳴り響いた。
お、いい曲じゃんと中野は思った。するとステージの下から天女のような衣装を来た踊り手達が現れた。中央の人物を見てギョッとした。あれは、弥栄ヨリだ。
踊っている時のヨリは普段話している時とは違って本当に巫女のようで誰よりも美しいと思った。
ヨリは息を吸い込んで歌った。
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
舞台袖で見ていたミラーボールは「これぞ浦安の舞、だね。」と言った。
その朝東京ドリームランドの建設予定地で30人程の若者達が目を覚ました。皆普段ツッパリとして有名な少年達だったが、昨日までの記憶がなくその日から悪さをせずに皆真面目に生きたという。
しかし一人だけ全てを覚えている者がいた。中野ヤスユキ。元々そんなにツッパリでもなかったが。彼が目を覚ますと巨大なサーカス列車がもう出発しそうな様子で団員達を乗せていた。彼はその中に弥栄ヨリを発見した。
「お前、サーカスの団員だったんだな…。」
ヨリは頭を下げた。
「酷いことを言ってごめんなさい。それから、ありがとう。私に自分を大事にできるような自信を持たせてくれて。」
中野はいいや、と首を振った。「いいや。好きなものを隠さずに堂々と生きることを教えてくれたんだ。礼を言うのはこっちの方だ。」
そう言ってちらっとシルクハットの人物を見た。
「やっぱり、行くのか?」
「はい。私はまだ列車に乗らなくてはいけないんです。たった一人だけを愛するのは、少なすぎます。」
するとシルクハットの人物がずいっと中野の前に立ってにこっと笑った。
「そういうわけだから。キミにもキミの世界が見つかるといいね。それから今回の公演の報酬はキミのオリジナル曲1曲でいいよ。」
「何の話だ?なんだか知らねーがムカつく野郎だぜ。」
中野はミラーボールの胸ぐらを掴んだが、ミラーボールは笑ったまま肩をすくめただけだった。
☆☆☆
「まさか本当にキミが列車を降りてしまうんじゃないかと冷や冷やしたよ。」
列車が銀河空間に入った際にミラーボール団長は言った。私は答える。
「そんなわけないでしょう。私はやり遂げると決めたらやり遂げるんですよ。」
「だよね!」ミラーボール団長はそう言うとカセットテープをセットした。手作りだが悪くはない電子音が鳴る。中野ヤスユキが初めて作った作品だという。
「この曲、なんか聴いたことあるな…。中野、ヤスユキ……ああ!!」
ずっと聞いたことのある名前だと思っていたが今思い出した。
「あの人!うちの父親の大学の同級生ですよ!確か父をテクノポップの沼に引き摺り込んだ張本人。だから幼い頃からテクノポップのCDが家でかかっていたんです。」
「あらそうなの?キミはその影響をモロに受けたってわけだ。」
「なんならすぐ誰でも好きになる人だったって…。ある日突然病気で亡くなったんですけど。」
そうだ。亡くなってしまったのだ。父の友人だった若き天才は。ああ、中野さんだったのか。私を好きになったテクノツッパリは。なんだか可笑しくなって笑ってしまった。
ミラーボール団長もその様子を見て微笑んだ。
「次はどんな世界に行くんです?」
私の問いにミラーボール団長は顔を上げた。「そうだね次は…。」
若きツッパリの電子音は誰に聴かれるのも関係なく銀河空間に鳴り響いていた。
注文が多すぎる料理店
周囲の音には気づかないぐらい深く、私は物語の中にのめり込んでいた。頭の中で前の知識と新しい知識が繋がっていくような感覚がある。
「やっと本来のキミの状態になりつつあるようだね。」
ふいに声をかけられ、顔を上げるとミラーボール団長が立っていた。
「なんの話ですか。」
「だって前だったらボクの部屋に勝手に入って本を読み漁るなんて、もっと遠慮がちだったじゃないか。このところいつも来ているね。」
「だっていつでも読んでいいと言ってたじゃないですか。」
私の答えにミラーボール団長はそうだったね、と笑った。
この列車はどこへ向かうのか。私が指揮官だったという記憶。私の大切なものたちはどこへ行ったのか。その全てが繋がるのなら、どれだけ時間がかかっても答えを見つけ出してみせる。
「ミラーボール団長、私は真実に辿り着けると思いますか?」
ミラーボール団長は知ってるくせにという笑みを見せた。すると、ガチャン。部屋のドアが開いて団員のクロ・ヴィシャスが現れた。カラスの羽のように黒いパンキッシュなファッションが特徴的だ。
「おい、なんか手紙が来てたぞ。」
ミラーボール団長の元に届く手紙は銀河空間に漂っている。それをキャッチするのが彼の役目なのだ。それもそのはず、以前は王様の連絡係のカラスだったのだから。
「ありがとう。」
ミラーボール団長は手紙を受け取ると一枚ずつ宛名を確認した。手紙はサーカスへの賛辞なのか、個人的なものなのか判別できない。すると急にある封筒の宛名を見てミラーボール団長は慌てた。
「おや!?こ、こ、こ、これは!!ありえない!急がないと今すぐに!!」
そして手紙をいつも本を入れるドアの横の隙間に入れた。
「どうしたんですか?急ぐって、何があるんです?」
ミラーボール団長はにやっと笑って言った。
「デートのお誘い?」
「「はい?」」
列車の前方にあるミラーボールに鳩とフクロウのシルエットが点滅した。
三日月が静かに灯る夜、列車は月の表面を滑るように小高く人通りの少ない建物の前に停車した。
建物の入り口には小さな看板に「フェリス・ウィール」と記されている。フェリス・ウィール。確か観覧車のことだ。
「フェリスという人が作ったからこういうんだよね。だけどフェリスには幸福という意味もあるのさ。つまり幸福の輪という意味だ。」
「ここは何かのお店なんですか?ていうか、デートのお誘いって言ってたのに、みんな降りて来ちゃってるけど。」
「レストランだよ。」
ミラーボール団長は黙った。「本当は仕事の依頼なんだ。あのコ達からの。」
前に言っていたすごく遠くに行ってしまった大切な子達のことだろうか。
「正確にはあのコ達と関係するところから、だけど。」
ミラーボール団長は残念そうなでも楽しみなような話し方で扉を開けた。
扉の向こうには表からはわからなかったがどこまでも続く長い廊下があった。赤い絨毯が敷いてあり、豪華な装いだ。
壁にはこんな札がかかっていた。
「ミラーボールサーカスのみなさん、本日はよく来てくれました。当店ではドレスコードとしてみなさんに仮面をつけていただきます。こちらからお好きな仮面をお取りください。」
札の下に箱が置いてあり、中には動物やピエロの顔の仮面が入っていた。みんな気に入ったものを手に取る。私は一番シンプルな蝶々の形をした仮面を目元につけた。
ミラーボール団長はほぼサングラスとしか言えないような目元がミラーボールになってるやつをかけていた。
思い思いの仮面を被ったまま団員達は先へ進む。
するとようやく人の姿が見えた。背広を着ている背の高い男性だが、その人も仮面を被っているため顔は見えない。
その人は深々とお辞儀をすると丁寧に話し始めた。
「本日はみなさんようこそおいでくださいました。まさか我々の注文にそちらの団長さんが答えてくれるとは思いませんでした。普段は敵対してるようなものですから…。」
「ボクは誰の敵でもないよ。今回はお互いの計画に必要だから来ただけさ。」
「それでも、我々果実の同盟に協力してくれるなんて初めてではないですか?」
団員達がざわついた。果実の同盟だって?長い間世界を裏で操っていた秘密の組織だ。どんな目的があるのか知らないが、中には人を幸せにはしない酷いこともやっていると今まで聞いた話から私は決めていた。
ミラーボール団長が大切な人達だと言っていた人もそれに関係してるのだろうか。「これも全てデスティニーだよ。それより依頼の内容をサーカスのみんなにも説明してくれる?」団長は男性の問いには曖昧にしか答えず先を促した。
「はい。実は本日この果実の同盟の会員制レストラン、フェリス・ウィールでは大規模なオークションがあるのです。そのオークションの前座でのパフォーマンスとオークショニアをみなさんにお願いしたいのです。」
小人のトムさんが男性を見上げて尋ねた。「おい、大規模なオークションって一体何を売るってんだ?」
「それはもう、我々にとってはとても興奮するものですよ。」
仮面の男性に案内されて地下に続く階段を降りる。何故秘密裏に生きる者達は地下を好むんだろう。地下は表よりも広く作られていて、会場の裏に楽屋があるようだった。人通りの準備をそこでしろということなのだ。
「では、開場までもうしばらくお待ちください。」
男性は楽屋を後にした。その時、廊下の向こうから大きな声と小さな声で鼻歌が聞こえた。見るととても巨体で太った女の人が小さな子供を連れていた。2人で鼻歌を歌っていて親子かと思ったが私はその2人に奇妙な違和感を覚えた。
子供は犬の首輪のようなもので繋がれ、そのリードを巨大な女の人が持っているのだ。子供が動くたびにチリンチリンと音がするのを見ると首輪には鈴が付いており、椿の花の絵が掘られていた。
2人はゆっくりと近づいてきて、仮面ごしに子供と目があった。小学校低学年ぐらいだろうか。目があって驚いた。まるで人形のように美しい顔をしていた。だけどそれと同時に恐ろしかったのは、顔や肌にところどころアザや傷が見えたことだ。私は直感的にこの2人は親子ではないと感じた。2人が去ったあと、ミラーボール団長に尋ねる。
「あの、ミラーボール団長、あの子供絶対に助けてあげないとダメな気がするんですけど…。」
「やだ!」ミラーボール団長は即答した。
「はぁ?いやいや、みたらわかるでしょ!絶対危険ですよ!」
「ボクは子供が苦手なんだもん。」ぷい、と団長はそっぽを向く。そういえば前にも霊体トカゲの宗教施設でそんなこと言ってたな。でもこの人最終的な宇宙の魂の集合体なんじゃないのか?
「んな大人げない。あなた自身が小さな子供だったことだってあるんでしょう?」
「だから怖いのさ。」
「え?」
「子供の時に刻み付けられた傷は下手したらその人間の一生分の運命を決定付けてしまうことがある。だからこそ子供から見たら大人に見えるようなボクたちが下手に差し伸べた優しさがそのコの心に消せないものを残してしまうのが怖いんだ。相手に優しさを与えるというのは責任を伴うものだよ。」
「だからこそ今傷ついてる子を救わなくちゃダメじゃないですか!命に関わるかもしれないんですよ!?」
私が大声を出したので辺りが静まりかえる。ミラーボール団長はしゅんと肩を落とした。
「本当に、キミの言う通りだ。」
会場の時間になり、舞台が競り上がってくるタイプのステージに上がった。競技場ぐらいの広さの会場を見下ろすような形でどの席も人で埋まっている。中には顔を見たことがある有名人もいて、改めて果実の同盟というものがどこまで浸透しているのかを知ることになった。
「レディースアンドジェントルメン!今日は我らがフェリス・ウィールのオークションへようこそ!ボクはオークショニアのミラーボールだよ!よろしく♪」
団長がサングラスごしにウインクしたのがわかった。会場の中央に滑車が13台着いた観覧車が競り上がってくる。カラフルな滑車だがどこか異様な感じがした。何故ならその観覧車には窓が一つもなかったからだ。窓のない観覧車は見た目にはカラフルに塗られているが、どこか棺のようなものを連想させた。
「それでは、1番からどうぞ!」
1と書かれた滑車が下に止まる。扉が静かに開き中からまだ10歳にもならない少女が出てきた。少女はお辞儀をすると、スタンドマイクの前に立った。息を吸い込み歌い出す。なるほど、綺麗な歌声だ。
歌が終わり会場が拍手をする。一人ずつが何か札を上げている。そこには1000万や1億といった高額な数字が書かれている。まさか、このオークションは。
「果実の同盟の会員にはまだ10歳にも満たない子供達を好む奴らがいるんだ。子供達はどこからともなく誘拐され、芸を仕込まれ、彼らに「飼われて」いく。」
ミラーボール団長はとんでもないことを説明した。
「飼われるって、そんなのダメでしょ!」
「子供達の悲鳴や恐怖、負の感情はそのまま世界のとぐろである爬虫類の生命を持続させる。少なくとも彼らはそう信じている。」
何を言っているのだ。そんなことのためにたくさんの子供達が犠牲になるのか。
私が唖然としている間もオークションは進んでいく。子供達は皆番号で呼ばれ、玉乗りやジャグリングなどの芸を披露していく。まるでそこに彼らの意思は介入されないかのように値段がつけられていく。
ようやく最後の観覧車が回ってきた。13番。それは悪魔の数字のように音もなく扉を開いた。
チリン、チリン。
聞き覚えのある鈴の音とともに現れたのはさっきすれ違ったあの子だった。やっぱり美しさがダントツで違う。
少女のようにも見えるが、少年なのだと私は感じた。その子はぺこりとお辞儀をすると、一斉に四方に花吹雪を散らせた。会場に歓声が沸くと、その子は側転で何回も辺りを動き回り、高くまでジャンプしたり、ボールの上に乗ったりとにかく体操選手がやるような人通りの動きを披露して見せた。
会場一体が拍手に包まれる。挙げられる札も2億やら5億やらと高額になっていく。こんな素晴らしい動きができる子が大人に飼われていくなんて信じられない。
13番の子がお辞儀をして観覧車へ戻っていくのを見て私は思わず聞いてしまった。「怖くないんですか?このままだとあなたは飼われてしまうんですよ。」
その子は私の顔を驚いたように見た。そして言った。「こわくないデス。ぼくはもういたいのもかなしいのもぜんぶなくなりました。」その目を見て、わかった。まだ子供だがそれは全てを受け入れ、諦めた者の目のように真っ暗だった。
「ぼくのおかあさんやおとうさんもぼくをぶっていましたから。ぼくがとうめいになりそうになっていたときにいまのママにかわれたんデス。だからあたらしくぼくをかうひとがかわるだけデス。」
服の隙間から見える痣や傷跡はそれが無償の愛によってつけられるものじゃないことがわかる。実の両親からなのか、誘拐されてからのものなのか、その両方か。気づいたら私はその子の手を取って走り出していた。
「あっ!何してる!」「その子は私のよ!」
会場中からそんな声が聞こえる。「あんたはその子にいくら払うんだ!!」
どこに逃げたらいいのかわからずとりあえず楽屋まで行こうとすると、ミラーボール団長が右手を上げた。
会場が時間が止まったようになる。団長は口を開いた。
「無量大数。」
「は?」
「キミたちに無量大数といっても足りないぐらい溺れるようなお金をあげよう。だからここにいるコたちはボクがもらっていくよ。」
「何言ってる!?第一そんな金どこに…。」
開場の人々がいい終わるより先に天井からどさどさと世界中の札束が落ちてくる。皆手に取ろうとするが、その間も紙幣は溢れることをやめない。するとどこからか、大量の鳩がやってきて会場のドアのところにタイムワープが立っていた。
「果実の同盟の会員達め!お前たちの悪事は全て録画させてもらった!これより白鳥会による掃討作戦を開始する!」
何やら武器を持った人達が会場の人を取り押さえたりしている。「ボクたちもどうやら出ないといけないようだね。」
ミラーボール団長が言って、サーカスのみんなは観覧車の中の子供達を連れて外へとかけだした。
13番の子はクロ・ヴィシャスに背負われていた。
タイムワープがミラーボール団長を睨むのがわかった。
「そんな顔しなくてもボクは人を攫わないよ。このコたちは元の家に帰すつもりだ。」
ミラーボール団長は言葉通り、13人の子供達全員を列車に乗せると世界中を飛び回り彼らを元の家に返した。
やっと最後の一人、13番目のあの子の家の前に列車が止まる。そこはとても人が住んでるとは思えないボロい家だった。ミラーボール団長も私もそれだけで何かを察したので13番の子に向き直った。
「確かにキミはこのままこの家にいても透明になるしかなかったんだね。ねえ、キミさえよければボクのサーカスを一緒にやらないか?宇宙最大のサーカスを一緒に作ろう。」
13番の子の瞳は空洞だった。椿の絵が描かれた鈴がチリンと鳴る。
「だけどぼくさあかすなんてわからないデス。」
「みんなを幸せにするものだよ。」ミラーボール団長は言った。
「しあわせ?それはなんですか?」
「誰も痛くも悲しくも怖くもない気持ちのことだよ。キミの名前はなんていうの?」
「13ばん。」
「その前はなんて名前だった?」団長の声が優しく聞こえる。その子は静かに口を開いた。
「たから、デス。ぼくのほんとうのおとうさんがいきていたときにつけてくれました。ぼくのおとうさんのすきなはなはつばきのはなです。」
もう一度、首につけた鈴がチリンと鳴った。
「しかしミラーボール団長にもいいところがあるんですね。子供が苦手なんじゃなかったんですか?」
たからくんが眠ってしまってから車窓の銀河を眺めて私は言った。
「なんだいそりゃあ。ボクにいいところがないみたいじゃないか。向き合うのが怖いといっただけさ。傷ついているコがいたら助けるのは義務じゃないか。」
ミラーボール団長は何故かスケッチブックにクレヨンでキリンの絵を描いている。この人が一番子供なのかもしれない。
「世界を維持するのに子供達の恐怖や痛みを集めるなんてのはいつか同じ苦痛が返ってくることを知っていなくちゃね。子供達が笑顔でいられる世界にならなくちゃ大きな子供達の心の幸せもあり得ないのさ。」
ミラーボール団長は描いた絵を紙飛行機にして折ると、窓から煌めく銀河の中にそれを飛ばした。
Mad Pierrot-Love it-
ケージに入ったうさぎ達がひくひくと鼻を動かす実験室の中で、オーヴェー博士は虚無に至っていた。
まさか自分の発明が戦争兵器に利用され、たくさんの命を奪うことになるとは想像していなかった。これは世界の愛と平和を実現させるための実験だ、と意気込んでいたから尚のこと、博士にとってはショックな出来事だった。
兵器の威力が人々を殺したあの日から、博士はずっと虚無状態になり、何度も悪夢を見たし、何度も吐いた。
たくさんの人の苦しみながら死んでいく様子が夢に出てくるのだ。
無論、オーヴェー博士は天才だった。IQは600以上あり、誰も解けないと言われていた方程式を難なく解いた。年齢もまだ若く、これからの化学界にとって期待の星だった。博士自身もそのことを誇らしく思っていて、鼻高々に過ごしていた。ただ何よりも大事にしていたのは「ラブ&ピース」である。
オーヴェー博士には父親がいた。父親もまた、天才科学者だった。そしてとても優しい人だった。彼はテクノロジーは人の役に立つためにあり、愛を伝えるためにあると信じて、息子にも「愛と平和」の大切さを昔から聞かせていた。
父親は「果実の同盟」という世間的には秘密組織とされているところに所属していたが、この組織は本当は未来永劫平和で誰も傷つかない「世界」を存続させるためのもので、決して悪の組織などではないという。
だからオーヴェー博士もそれを信じたし、父が亡くなった時には涙が止まらなかった。父の意志を継いで自分が科学者になった時にも同盟の仲間たちが協力してくれた。
更にオーヴェー博士には生まれた時からの友達がいた。それが父から贈り物として貰ったうさぎ達だ。うさぎ達は悲しい時にもオーヴェーの側にずっといてくれた大切な友達だ。
しかし多くの人の命を奪った自分がこの世界に生きてていいはずがない。せめて自分がいなくなってもうさぎ達を大事にしてくれる誰かがいたら。オーヴェーは時計の針を見上げ、次の発明の用意をした。
「うえ〜ん、動かないよ〜。」
サーカスの団長ミラーボールは湖のほとりで止まってしまった電車の修理に苦戦していた。
「嘘でしょ。こんなことあるのかよ。」
カラフルな風船を持ったまま、ピエロのハッピーは呆れていた。他のサーカスの団員も同じようにしている。
「だってこの列車は従来の化学の知識だけじゃあ、動かないんだもの。あ〜あ、どこかに天才物理学者でもいないかなあ。」
「それ以前にあんたが機械音痴なんだろ。」
ハッピーの指摘にミラーボールは涙目で振り向く。しかし反論するかと思いきや、その目は茂みの向こうに焦点を合わせていた。何やらがさごそと動いている。
なんと茂みの向こうから白いうさぎが一匹ぴょこんと現れたのだ。
「みーつけたー!」
ミラーボールは急に笑顔を取り戻すとうさぎを追いかけ始めた。
「いやどこ行くの!そいつは天才物理学者じゃなくてうさぎだよ!!」
ハッピーは慌ててミラーボールの後を追った。
「出来た…。」
オーヴェー博士は完成した発明品を眺めるとコップに注がれた液体を飲もうとした。すると、がたん!家の玄関から大きな物音が聞こえた。
「最悪だ…。あとちょっとだったのに…。」
博士は寝癖だらけの頭を掻き上げ、玄関に向かった。そこにはシルクハットを被った妙な人物がうさぎを抱えて立っていた。その人物はオーヴェー博士を見つけると微笑んだ。
「やあ、キミか。」
「誰だ?あんた。」
「ボクはミラーボールだ。宇宙一のサーカス団の団長だ。ボクちょっと白うさぎを追ってたらここまで来てしまったんだ。」
なんだか台詞じみた喋り方だ。本心から話してるような、台詞を読み上げるようなアンバランスさがある。更にこのミラーボールという奴は性別も年齢も判定できない。目の色が角度によって全然違っていて、まるで宝石を嵌め込んだように見える。作られた人形みたいな感じもするが、こんな人形を今の化学技術で作れる者がいるとは思えない。しかも自分以外で。
ミラーボールは前から博士を知っているかのように親しげに話しかけた。
「キミは、アレだね。イナバ博士の息子さん?」
オーヴェーは怪訝に感じた。何故、こいつがそんなことを知っている?
「イナバ・セト博士の息子、オーヴェー・セトだね?」
「お前、何者なんだ…?」
「だから今言ったでしょ。」と言いながらミラーボールはオーヴェーの持っていたコップに視線を移した。まずい。持ってきていたのか。水だと思ってくれれば。
「キミの持っているのは塩酸だね?塩酸を飲もうとしたの?」
オーヴェーはしまった、という顔をしてそれをさっと隠した。「誰だか知らないけど帰りなさいよ。俺は実験があるんだから。」
すると今度は激しい音を立てながら全身ピンクに髪もピンクなピエロが入ってきた。サーカスの団員だろうか。
「こんなとこにいた!さっさと戻るぞ!」
「待った、ボクはここにいることにするよ。オーヴェーが透明になりそうなんだ。」
ピンク髪のピエロはちらっとオーヴェー博士の顔を見た。ミラーボールほどではないが、このピエロも見透かしたような目をしている。特に左目がミラーボールと似ている気がした。
「もう少しだけ待ってくれないかな?それにボクはキミを探していたんだ。」
ミラーボールはオーヴェーににこっと笑いかけた。
そんなわけで、オーヴェーが何度追い返してもミラーボールは聞かなかった。ハッピーというピエロもまともそうだと思いきや余計なことは言わない割にオーヴェーの同行をじっと見ているところがある。これじゃあ自殺もやりづらい。
「なんで消えようと思ったの?」ハッピーが遠慮なく聞いた。
「どうだっていいだろ。俺は大量殺人鬼なんだよ。」
オーヴェーの腕にはたくさんの傷跡がある。あれから何度も自己を傷つけていたのだ。ハッピーは詳しくは問い詰めずにその辺のものを暇そうに見ていた。
すると勝手に実験室へ入っていたミラーボールが大声を上げた。「わーすごーい!」
オーヴェーは慌てて実験室へ行く。「何入ってんだよ!」
「だってすごい発明品ばっかりなんだもの!オーヴェー博士!キミは天才だね!」
素直に褒められたので、オーヴェーは嬉しくなって話し出した。
「ふふん!そうなんだよ!俺って本当に最高で天才でしょ?なんならイケメンだし!ちなみにこの試作品92654号はなんと酸素のある空間でも宇宙みたいな無重力体験ができるんだ!更にこっちはなんと世界中のテレビが同時で見られるんだぞ?最っ高でしょ?」
オーヴェーは一気にべらべらと自分の発明について解説した。ハッピーがさっきまでとは違う様相に呆然としている。
オーヴェーははっとして、黙った。
「…悪い。それでも大量殺人鬼に変わりないよな。」
ミラーボールは目を輝かせた。
「すごい!すごい!今のが本当のキミなんだね?どうせ人生が終わるなら少しでも楽しいことがなくちゃダメだ!今からこの発明品を街の子供達に見せよう!」
「はあ?何言って。第一街なんてどうやっていくか知ってるのか?ここ山の中だぞ?」オーヴェーは言った。ミラーボールはにやりと笑う。
「どこでも行けるドアだって作ってあるんでしょ?」
ミラーボールはなんだかんだで自尊心の強いオーヴェーを持ち上げてくれるので仕方なく街の噴水前まで来てしまった。サーカスと同じ手法で子供達を呼び寄せ、化学ショーをやってみせる。
最初は気乗りしなかったオーヴェーも自分の発明で子供達が笑っているのを見ると、次第に多弁になって色々と実験について説明し始めた。何より驚いたのはミラーボールやハッピーとの掛け合いがものすごくマッチしていて話しやすい。さすがサーカスの団長とピエロという感じだ。
最後の実験まで説明し終えると子供達から拍手が沸き起こった。
「すごいね!やっぱり科学者はええ自尊心を持ってないと駄目ってことかな?」
「黙りなさいよ。第一そんなシャレみんなに伝わってないから。」
「おっさん次はどんな発明を見せてくれるの?」
「おっさんじゃないから!年齢はあなたと一個しか違わないでしょうが!今日の実験はもうおしまい!」
ハッピーに突っ込みオーヴェーはやるがままにやった化学ショーを終える。子供達が笑顔で興味深々に見ている様子に自然とこっちまで笑顔になった。
「あ、笑った。」ハッピーが顔を覗き込む。
「あんた笑ってる方が絶対いいよ。どんな時でも笑顔でいれば辛いことなんて飛んでいくんだよ。」
ハッピーが本心ともジョークとも取れないことを言った。オーヴェーはなんだそれ、と吹き出す。
「でも確かに、そうだな。俺は本当は誰かが俺の発明で笑顔になってるのを見ると心から嬉しくなって笑顔になっちゃうんだよ。」
そうだった。本当は自分の発明で世界中が笑顔になって愛と平和で溢れた世界になって欲しいと心から思っていた。きっと父さんもそう願っていたはずだし、平和になった世界を自分が眺めて更に貢献出来たらこんなに幸福なことはない。
「あんた達はいいよな。サーカスではいつだって笑顔に溢れた空間を届けられる。」
ハッピーは何か感動したのか無言でオーヴェーの肩に手を置いて言った。「よし。今日は美味いものを食おう。」
でん、と食卓に置かれたのは遠い国の家庭的な食材だった。白くて艶のある米、醗酵させた大豆を溶いたスープ。野菜と更に3つのおかずがある。
「…これは何て食べ物?」
オーヴェーの問いにミラーボールが答える。
「焼肉に卵焼きにアジの開きさ。キミも気にいると思うよ。」説明しながらむしゃむしゃと食べている。
食べたことのない料理にオーヴェーは匂いを嗅ぎ、口に運ぶ。そしてあまりの美味しさに目を丸くする。
「うっっま!」
「オーヴェー。大事なことはね、美味しいものは大切な誰かと食べるということだよ。」
オーヴェーの心は温かくなっていった。世界にはこんな美味いものがあって、誰かの幸せのために生きてる奴らがいるのか。こいつらと同じように自分もまだまだ誰かの幸せのために生きていけるかもしれない。
「しかしこんな美味いもの今まで食べたことなかったな。一体どこの国の料理なんだ?」
「ここよりずっと遠いシマグニさ。ハッピーの故郷なんだ。あの国の人は普段からこういうものを食べてるから、とても健康なんだ。」
ミラーボールが何気なく答えた言葉が引き金だった。シマグニだって?あの国は俺の発明した兵器でたくさんの人が亡くなった国じゃないか。途端にあの日同盟から送られてきた映像がフラッシュバックする。
食べたものが逆流して喉元まで込み上げて来る。オーヴェーは二人の反応も気にせず、実験室まで走った。
全て吐き出して汲んでおいた塩酸の入ったコップを口に運ぶ。「待てよ!」ハッピーが思わずコップを取り上げ割ったので近くにあった書類が溶けた。
「止めないでこのまま死なせてくれ!」
実験室の籠でうさぎ達が鼻をひくつかせた。
「一体どうしたんだよ!」
「……俺がやったんだ。」
「え?」
「俺があの国の人達を大量に殺した兵器を作ったんだ!」
ハッピーの目から光が消えるのがわかった。
「俺だって最初からあんなことななるなんて知って開発したんじゃない。だけど父さんと繋がっていた同盟が世界の平和のために悪い奴らをやっつけなくちゃいけないって言うから本当だと思って協力したんだ。あいつらから送られてきた映像を見てやっとわかったんだよ。とにかくこんな俺が生きてていいはずがない。わかったらさっさと死なせてくれ!」
ハッピーは黙っている。
「それから頼みがある。俺が死んだらそこの白い箱を開けろ。それが最後の俺の発明品なんだ。その箱はパラレルワールドと繋がっていて、開けば俺が産まれなかった世界にこの世界を改変できる。俺が生まれなければ誰も苦しまなかったんだよぐはっ!」
ハッピーに思い切り顔を殴られた。ハッピーはそのままオーヴェーの胸ぐらを掴むとドン!と床に押し付けた。
「てめえさっきから勝手なこと言ってんじゃねーよ!」
あまりの気迫にオーヴェーは驚く。ハッピーの瞳は灼熱の太陽みたいに燃え上がってみえた。
「そうだよ。俺はテメーの兵器のせいで故郷の家族も恋人も全部失ったんだよ!だったらそんなお前が死んで楽になるだなんて卑怯なこと考えてんじゃねー!生きて世界中に自分がやりましたって言って罪を償えよ!何で…!お前なんだよ!!」ハッピーの目から涙が溢れ、オーヴェー博士の頬に落ちた。
「俺だってそうしたいさ。だけど俺の存在は誰にも知られちゃいけないんだ。だったら人知れずいなくなるしかないだろ。」
「だからなんでだよ!!」
ハッピーが吠えたてて叫んだ時、「キミの自己犠牲はまるで自ら業火に身を投げて旅人にもてなすうさぎのように尊いね。だけど自己犠牲は罪悪だ。」後ろからミラーボールの声がした。ミラーボールはオーヴェー博士を見てニコッと笑う。
「キミは世間に知られてはいけない存在であり、更に自分を傷つけるぐらいには自己犠牲精神が強い。それは何故か、キミが作られた人間だからでしょう?」
ハッピーはオーヴェーの胸ぐらをぱっと離した。オーヴェーは答える。
「ああ。俺は果実の同盟が隠したかった人体エネルギーを発見した科学者の頭脳と、同盟が目指す愛と平和の理念を人工的に構築して作られた人造人間だ。」
「だから、本当の愛と平和を理解しているかわからない。キミを製造したのが果実の同盟のイナバ・セト博士だよね。」
オーヴェーはこくりと頷く。
「キミは最後の発明でキミが製造されることのないパラレルワールドとこちらの世界を融合させ、歴史を変えることで平和な世界を築こうとしたんだよね。
だけどそんなに世界は簡単なものじゃないよ。キミがいなくても果実の同盟の本質は変わらない。別の世界でも新しいキミが作られる。それにキミがいなければこの後の人類の化学技術は良くも悪くも発展しない。キミがキミとして今ここにいることはどんな方程式でさえ、必ず高確率でそこにたどり着く運命、デスティニーなんだ。本当に幸せで平和な世界を存続させるにはキミがキミとして生きていかなきゃいけないんだ。」
「だからそんなの一部の権威あるやつらのための幸福な世界だろ。」
「違うよ。キミを一人にしないための世界存続計画だ。」
ミラーボールははっきりと力強く言った。
「だけど、結局父さんも俺のことを本当に息子だと思ってたかわからない。俺を必要としてるやつなんて。」
「たくさんいるじゃないか。キミの父親がキミのために用意した友達が。」ミラーボールはケージに入ったうさぎ達を指した。オーヴェー博士を創り出した父、イナバ・セト博士はよくこう言い聞かせていた。お前には世界を愛と平和で溢れた場所にする役割がある。ラブ&ピースはどんな時代でも大切なことなんだ。それでもお前が孤独を感じないように、幸福の象徴であるこの子達をプレゼントしよう。この子たちは困った時お前を助けてくれるだろう。悲しくなった時は、Love it.目の前にいるそいつを愛することから始めるんだ。
博士はそんな話をしてオーヴェーにうさぎ達をくれたのだった。うさぎはピースしてる時の手の形と似ていてオーヴェーはすぐ好きになった。
「永遠に悲しみのない世界を存続するために、キミもボクの列車に乗らないか。」
ミラーボールはオーヴェーに手を差し伸べた。
「実は列車が故障してしまってね。元に戻すにはキミのその発明品が必要なんだ。あらゆるパラレルワールドを一つにするその装置がね。」
オーヴェーはミラーボールに誘われるまま、先程の発明品を持って泉の近くまで着いて行った。なるほど泉の岸辺に線路も何もないのに巨大な列車が停まっている。
オーヴェーは故障している箇所を見て驚いた。今の科学技術では絶対に移動できない原理で移動していることがわかったからだ。いや、10年後20年後の技術でも難しいかもしれない。何億年とかけないとこんな列車は作れないしあるいは列車そのものが意思を持った生き物のような感じもする。
つまりこの列車は時間も世界線も越えられるのだ。
オーヴェーはミラーボールの顔を見て言った。
「あんた本当は何者だ?果実の同盟とは関係あるのか?」
「ボクはボクだよ。世界中の幸福を集めて本当に幸せな世界を存続させるエネルギーにするんだ。キミも一緒にやってくれないかな?」
オーヴェーの答えは決まっていた。こんな興味深い列車に乗らないわけがない。それだけではない。多くの人の命を奪った自分が、本当に幸せな世界を創るためには業火の中で何度焼かれたって構わない。みんなを幸せにすることに命をかけるのだ。
ミラーボールはオーヴェーの瞳を見て答えを察したようだ。「わかった。じゃあボクと耳を共有しよう。世界中の全ての声を聞くんだ。」
ミラーボールが言うとうさぎ達がさあっと列車に乗って行った。同時にオーヴェーの耳はうさぎのように毛が生えて、長くなった。その瞬間オーヴェーにはたくさんの音や声が聴こえた。世界中の願いや叫び、動物達や木々の声、過去から未来までの音楽が一つに鳴り聴こえてきた。ああ、ミラーボールというのはそういう存在なのだと理解した。
気がつくと、オーヴェーの姿はうさぎの耳を生やしたピエロになっていた。顔と髪、服の半分が赤、もう半分が青になっている。
「キミは今からオーヴェー博士ではなく、Love it、ラビットだ。」
「ラビットか。悪くないな。」と言いながら自分の耳をいじってみる。
ハッピーはその様子を見てやれやれといった顔をした。
「ていうか、会った時から思ってたんだけど、ミラーボール、服が後ろ前だよ。」
ハッピーが吹き出した。「ぷっ……ひゃははははははは!」
ミラーボールはさっきまでの怪しげな表情を一変させて慌てて着替え直す。「うるさいな!これもジョークなの!それから団員になったんだからボクのことはミラーボール団長と呼んで!」
こいつ相当抜けてるな。ラビットは鼻で笑った。ミラーボール団長の帽子から顔を覗かせた白うさぎがヒクヒクと鼻を鳴らした。
ガラスの卵
「ボクという現象は仮定された有機交流電灯の一つの青い照明、つまりあらゆる透明な幽霊の複合体なんだ。」
ミラーボール団長は意味深にそう言った。
「はい?」さっぱりわからない。人間ではないとは薄々思っていたが。ミラーボール団長は更に付け加えた。
「ボクは地球が滅亡して宇宙から生命が全て無くなった後に、宇宙に存在した全ての命が複合して生まれた概念なんだ。だから宇宙のありとあらゆる魂は最終的にボクになるということ。」
なんというかそれはそれで驚きだ。みんな生きてる間は普通であろうとするのに、最終的にミラーボール団長になってしまうのだから。
「ボクが自己を認識した時、もう世界には一つも生命が残っていなかった。ボクはどこに行ったらいいのかも分からず彷徨っていた。一つだけ覚えていたのは、この世界の時空の円環を始まりから終わりまでずっと廻り続ける列車があるという話だ。
そうしてボクが待っていると、月の向こうから列車がやってきた。ボクはそれに乗って何光年も永くここで暮らしていた。その時ボクにはやらなきゃいけないことがあった筈なんだけど、忘れてしまったんだ。
だけどある日、あのコたちが列車に乗ってボクを見つけた。ボクにとってとても大切な人達だ。そのコ達のおかげでボクはミラーボールになった。そうしてしばらくはそのコ達と一緒に暮らしていたんだ。あれは今思い出しても本当に楽しい日々だったな。
だけどある時ボク達はバラバラになってしまったんだ。この列車でさえ辿り着けないくらい遠くへ。」
「死んじゃったんですか?」
「いいや。だけどとにかくボク1人ではどうしようもないぐらい遠くに行ってしまった。あのコ達を1人にしないためにはたくさんの幸せなエネルギーが必要になる。
だからボクはあらゆる時空からみんなを集めてサーカスをやるんだ。世界中の幸せを集めるために。」
ミラーボール団長はそう話した。いつも楽しそうに話す団長が今回ばかりはどこか寂しそうに見えた。
すると突然列車が停まった。
「そろそろ着いたようだね。ヨリ。降りよう。」
団長に言われるまま列車を降りると、そこにはドーム上の建物が砂漠と星空しかない空間にぽつりと立っていた。入り口には「星空の図書館 分室」と書かれている。
「ここはボクがあのコのうちの1人と出会った場所だ。」
そう言ってドアを開けるとそこには本棚があり、たくさんの本が並んでいた。それでも、他の図書館よりたくさんあるわけではない。
「ここには未来の世界で不適切コンテンツとされた物語が送られて来る。ボクはそれらをあのコから譲ってもらったんだ。だから今ではそんなにたくさん本はないけど、もしかしたら…。」
ちらっと団長が私を見て言った。「キミにとって必要な物語があるかもしれない。」
まさか。だけど図書館は好きだ。気になる本がないか辺りを見回してみた。すると、言語はわからないが青緑色の装丁の本が気になり、手に取ってみた。表紙にオレンジの飾りでカモノハシの絵が描かれている。
「カモノハシか。実に、キミらしい。」ミラーボール団長が言った。「じゃあこれを使おう。」
列車に戻り、団長の部屋の本をセットする場所にさっきの本を入れる。列車の汽笛が鳴り響いた。
「世界存続計画!!」ミラーボール団長が明るく高らかに叫んだ。
鏡の空間を抜けると、そこは光が差して薔薇の花が咲き誇る庭園だった。最初はどこかの城の中庭かと思ったが、周囲を見ると制服を着た若い人達がいるところからかなり敷居の高い学園だということがわかった。
見てみると私の服装は生徒たちと同じ制服になっていた。団長は、普段と変わらない。
「ちょっとあなた!制服に着替えなさい!!」
どこからか厳しそうな女の先生がやって来て、ミラーボール団長に注意した。ミラーボール団長は笑ったまま、その先生の目をじっと見る。すると、先生は何もなかったように立ち去った。
「何をしたんです?」
「この世界では、学校のみんなに催眠術をかけておいたよ。学校って、色々面倒だからね。」
ミラーボール団長はそう言うと、近くの薔薇の花壇の中を突然探り始めた。
「どうやらボクはこの世界でガラスの卵を産むカモノハシを見つけなくちゃいけないみたいだ。」
「カモノハシ?あの生き物はオーストラリアの自然の中にいるようなものですよ。」私は言った。花壇にはもちろんカモノハシはおらず、代わりに黒い猫が姿を現した。
黒猫はふてぶてしくアンニュイな表情でこちらを見た。
「キミは…。」ミラーボール団長が何かを言おうとすると、
「どこ行った!?あの黒猫!」「今日という今日は逃がさないぞ!」数人の男子生徒が猫を探しているようだ。私が教えてあげようと立ち上がった時、ミラーボール団長は何も言わず猫を抱くと、自分の帽子の中に隠した。
「すみません!猫がいませんでした?よく部室を荒らしているんです。」男子生徒の1人が聞いたが、「いいや?ここには何も。カモノハシさえいないよ。」と団長が答える。
私にも何も言わないよう、しーっと口に指を当てた。
「いないって。公彦(キミヒコ)。」1人が遠くからやってくるもう1人に伝えた。その名前には私は聞き覚えがあった。
あまり良くない思い出として、記憶の彼方に閉じ込めていたのに。遠くからやって来る、小柄だががに股でゆっくりと歩いて来るその人の名札が目に入った時、全身の血が頭に回って来るのがわかった。
五十川公彦。それは私の高校時代の担任と同じ名前だった。
その人がこちらに来るより早く、私は反対の方向へ走っていた。ミラーボール団長が後を追う。「あ!ヨリ!すまないがボクらは用があるんだ!」
男子生徒たちに告げながら、追いかけて来た団長が私の手を掴む。
「どうしたって言うのさ。」
「知っているくせに!もういいです!私はこの世界にはいたくありません!」
初めて私が感情を激しくしたので、ミラーボール団長は驚いていた。
「もしかして五十川公彦のことで機嫌を悪くしているのかい?」
「その名前を言うな!」私は団長を突き飛ばした。そのまま続ける。
「あの人のことは私は絶対に許さない。今だって不幸になって欲しいと望んでいるんですから。」
ミラーボール団長は首を傾げる。「何があったのかキミはボクに話したいんだね?」
そう言われると否定できなくなる。目の前の存在が宇宙の全ての魂の複合体なら、思い出そうと思えば起きたことも思い出せる。だから団長は人の感情を先回りしたような話し方をするのだ。
「まあ、聞かなくてもボクが思い出せばわかることだけど。でもヨリの口から聴かないとヨリの救いにはならないからさ。」ミラーボール団長は笑った。
私は話すことにした。
「あの人は、私の高校時代の担任だったんです。私は高校の時にすごく辛いことがあって、あの人に相談しに行ったんです。でもあの人は何もしてくれなかった。
私が相談した内容について、別に何も思わないと言った。今なら地方の公務員は何もしないしできないと私は諦めていますが、10代の子供にとっては深い傷を残すものです。」
ミラーボール団長は黙って聴いていた。そして、こう言った。
「確かに。世界を革命できる年頃の子供達に、革命できなかった者が共感できるものは何もない。」
どことなく五十川公彦を嘲笑うような言い方だった。だけどそんなことで私がこの世界を幸せにする気にはなれない。
「大体、大切な人を探すためにサーカスをやってるなら私じゃなくてもいいじゃないですか!」
「列車に乗る人は絶対にその人じゃなきゃいけないんだ。」
「何それ!とにかく今回は私はサーカスをやりませんからね!」
矛先が変わってしまっているが、私はぷいと後ろを向くとすたすたと歩いて行った。
☆☆☆
ヨリが去ってから、ミラーボールは顎に手を当てて考えていた。
「彼が自分を革命しない限り世界は変わらない、か。」
帽子から黒猫が顔だけ出してにゃーと泣いた。
「わかっているよ。キミも退屈だったんだね。」
ミラーボールは帽子から猫を出すと話しかけた。
「頼みがあるんだよ。光って反射する粒を集めて欲しいんだ。わかるね?」
猫はまたしてもにゃーと泣いた。
歩いて歩いて校舎から出るとさすがにこの街がどこなのかわからなくなった。あの人の地元だということは、私の出身から船で渡った地域のどこかだろう。
でも今回は列車に戻るための鍵も何も持っていない。
すると、「おーい!ヨリちゃーん!」
校舎のすぐ横の建物から巡ちゃんやミカ、ピエロ達や他の団員達が手を降っているのが見えた。
「気がついたらここにいたのヨ。」
サーカスの団員達がいた建物は、この学園の寮だった。何故か使われていない部屋がサーカスの団員の部屋になっているようだ。
「またミラーボール団長が変なマジックを使ったんだな。それでもやるだけやってやるさ。」
ミカがガッツポーズして言った。ピエロ達もサーカスの練習をしている。
私は気になって聞いた。
「どうして?…どうしてみんなそんなにやる気になったり、ミラーボール団長のことを信じることができるんですか?」
巡ちゃんがくすっと笑った。
「そりゃあ、アタシ達あのまま自分の世界にいたらきっと生きていかれなかったと思うワ。そこから逃げてでも、列車に乗ったのなら、出来ることはなんでもするワ。それに…。」
巡ちゃんはそこだけ耳元で囁いた。
「団長は物凄くワタシ達のことが大好きなんですもの。あれだけ愛を向けてくれる人、あの人以外にいなかったワ。」
もちろん傍目には一種の崇拝みたいに見えるかもしれない。でも、このサーカスの団員は世界から透明になりかけた何者でもない人達なのだ。そこに対して無償の居場所と愛を与えてくれるのだ。
それに、これは私が感じていたことだがむしろ団長の方が団員に依存に近いほどの感情を持っていたのだ。
でも、どうしてなのかはわからない。
一夜明けて外を見ると学園が大きなガラスのドームで覆われていた。比喩や冗談ではなく本当の話だ。
ガラスは校庭から学園の寮、裏山までを覆っていた。生徒は大騒ぎし、外から地域の人やメディアまで見にきていた。ガラスは割ろうとしてもびくともしない。
昨日はあの後一度も団長には会わなかった。一体どこに行ったのだろう。すると、放送が鳴った。
「どーもーみなさん!昨日から学校の特別芸能授業としてお忍びしているサーカスの団長、ミラーボールといいます!突然のことにびっくりしているけど、あのガラスを今夜ボクのサーカスが消してしまおうと思います!なのでお楽しみに!ちなみにあの卵はうちのサーカスとは何の関係もありません!」
そんなこと言ったら関係あるみたいじゃないか。すると今度は団員にだけ聞こえるように放送があった。
「団員に告ぐ。今回ボクは用事があってサーカスに出られない。でも、キミたちならボクなしでもできるよね?」
それはかまわないが、何か変なことを企んでるんじゃないかと心配になった。
昨日の放課後だった。目の前のわけのわからないシルクハットの人物が決闘を申し込んで来たのは。
「五十川公彦だね。ボクと決闘してくれ。」
自分の人生で関わり合いになることなどない人種だと思った。道を間違わないように、軌道に沿ってルールを守り、3歩先だけの未来を自分と同じ感覚の友人と楽しく、そして正しく生きていられるだけならそれで良かった。
世の中には確かに自分とは違う人間もいるのだが、相手がこちらを望んでいないならこちら側も干渉することはない。
五十川公彦は、そんな「普通の」人間だった。
だから目の前の人物が急にそんなことを言って来ても意味がよく飲み込めなかった。
「…え?」
「キミに言ったんだ。ボクと決闘してくれ。」
「何の決闘?」
「何でもいいよ。キミは背はそんなだがスポーツは学校一なんだろう?キミが知ってるスポーツを順番にやっていく、でどう?」
「…今そんな時間ないから、今度な。」
あまり深入りする前に帰ろうとした時、カバンの中から何かが出て来た。卵型のガラスみたいなものだ。
公彦には何故こんなものが自分のカバンから出てくるのか疑問だった。シルクハットの人物はそれを目で追うと一瞬だけ眉根を寄せた。
「よりによってこんな時に…。」
卵はみるみるうちに大きくなり、まるでシャボン玉の泡のように全てを擦り抜け、学校全体を覆った。
「な、なんだこれは…。」
「アレができたのはキミの心と関係がある。このガラスを壊したかったら、ボクと決闘しろ。」
そこまで言われると断り辛い。目の前の人物は一度目が合って仕舞えば、吸い込まれてどこか宇宙の果てまで連れていかれそうな不思議な空気を纏っている。どのみち家には帰りたくなかったし。
「わかった。そこまで言うなら。ところで、お前は誰なんだ?」
目の前の人物はにっと口角を上げた。
「宇宙最大のサーカスの団長、ミラーボールだ。キミ達が望む答えだと、アブラクサス、かな。」
演劇部か何かの部員だろうか。どちらにしろ理解できない奴だ。ミラーボール(?)は、やれやれと呆れてため息をついた。
「時間のある少年の時代に心理を求めない世代はこれだからつまらない。」
ということで、昨日から学校の裏山にある円形競技場でミラーボールとスポーツ勝負をしているが、思った以上にミラーボールは弱かった。
まずその帽子とヒールをどうにかすれば良いのに、こだわりがあるのか全然脱ごうともしない。
サッカー、バスケットボール、バレーボール、50m走、3000m走、テニス、卓球、フェンシング、何をやっても下手くそだった。根本的に運動神経がない奴だ。どうしてこんな奴が戦いを挑んで来たのか謎だ。しかしどれをやっても巨大な卵は割れる気配が無かった。
全部この変わり者の作り話じゃないのか。こんなことやって何の意味があるのか。
「もういいだろう。こんなことやったってお前に実力なんてないんだ。」
公彦はそう言おうと口を開きかけた。こんなことやったってお前に実力なんてないんだ。散々聞かされ続けて自分の中に深く刻み込まれてしまった言葉だった。
学園の講堂にサーカスのセットを張り巡らし、ショーが始まった。別に団長がいなくてもショーは続けられる。だけど、何故かミラーボール団長がいないだけでショーに締まりがないように見えた。
もうすぐ私の出番が始まる。私なんて才能もないのに、過去から脱却することもできないのに、ここにいていいのだろうか。何度も何度も同じことばかり考えてぐるぐると廻っている気がする。私の悩みも宇宙の円環と同じように晴れることはないようだ。
***
タイムワープは突如ある学園を覆ったガラスについて、白鳥会からの命令を受け調べるためにこの時代に来ていた。
ドーム状だと思っていたが、それは楕円形で先が少しとんがっていて、卵のようだ。
「何っだこれは…。」
タイムワープは頭をかいてモノクルを掛け直した。
☆☆☆
公彦が言おうとした台詞を飲み込み、別の言葉をかける。
「もういいだろう。この決闘にもガラスの卵にも意味なんかないんだ。」
ミラーボールは完全に疲れ果てているが、笑顔を決して崩さない。そういえばこいつは始めから楽しそうだった。
「いいや。ある。少なくともこの決闘には。」
「何だよそれ。」
「キミはボクらの大切な人を傷つけた。」
公彦には心当たりがなかった。そんなことをした生徒がこの学校にいただろうか。教えてくれれば謝りにいくのに。
「この学校にはいない。キミが未来で出会うコだ。」
何を言ってるのかわからないが、さっさとこんなこと終わらせてしまいたかった。公彦は呆れて頭を掻いた。
「わかったよ。だったら次の競技で最後にしよう。次の競技はお前が決めていいよ。」
ミラーボールはすっくと立ち上がった。そして公彦の前に跪いた。
「わかった。だったら次の種目は、ダンスだ。」
そう言うとミラーボールは公彦の手を取って口をつけて来た。
***
私の出番が来て、音楽が鳴り出す。クラシック調の美しい音色だ。私がこの列車に乗ってサーカスをやらなきゃいけない意味はどこにあるのだろう。もうやめたいと感じていた瞬間、頭の中にあの記憶が流れ込んできた。
どうしてこんな時に思い出す?それはこの前見た夢、学生時代私が行っていたとされる電脳世界の記憶だった。
全てがデータでできた世界の中で出会ったかけがえのない仲間たち、一つだけ嘘じゃないのは彼らを愛していたということだ。
だけどその世界は壊されてしまった。完璧で完全なAIによって、もしくは私自身によって。それさえも私は愛のせいにしてしまいたかった。
あの世界の出来事が私の学生時代の記憶とは別に、現実に起きたことなら、私は私の人生を誰かのせいにしてはいけない。たとえ、五十川公彦先生やそれ以外に私を傷つけた誰かの方が悪かったとしても、それを今の自分が何もできない言い訳にしてはいけない。
なぜなら、
☆☆☆
ミラーボールが公彦の手に口付けしたのと同時に競技場にさあっと風が吹き、決闘の様子を見ていた黒猫がにゃーと鳴いた。瞬間公彦の服装はスパンコールのドレスに変わり、髪も女性のカツラを被っていた。
「なっ///なんだこれは!」
こんな恥辱はないと言った風に公彦は叫んだ。ミラーボールはニヤッと笑う。
「今度はボクの番だ。」
ミラーボールはそのまま公彦をリードすると軽やかにワルツを踊り始めた。
「キミがこの姿になったのはキミがあるものを獲得出来なかったからだ。だけどあのコは、キミのおかげでそれを獲得できそうだ。」
ミラーボールの言っていることは全くわからない。女装して踊ってるなんて、こんなところ他の誰かに見られたら一生の恥だ。だけどミラーボールに見つめられると、何故かうっとりと現実を忘れるような甘い陶酔に包まれるのだ。
公彦の父は厳しかった。有名な大学教授でスポーツ学を教えており、五輪大会にも出場した経験がある。
父は公彦に自分が辿った競技と同じものをやらせようとした。しかし厳しい練習に耐えられなかった公彦は反発し、他のスポーツをやることにした。それはどれも元々の運動神経で難なくやってのけられたが、父のようになりたくなかったため、どれも真剣に向き合っていなかった。たぶん、人に対しても。無難に普通にみんなができていることを真似していれば傷つかないから。
しかしある時から、父はこう言うようになった。
「もういいだろう。こんなことやったってお前に実力なんてないんだ。」
公彦は、自分の世界は変わらないと諦めた。
夢のようなダンスが終わると、いつのまにか巨大なガラスの卵はなくなっていた。公彦の服装も元に戻っている。
ミラーボールは「はあ〜疲れた〜!」とその場に倒れ込んだ。どう考えてもさっきまで楽しそうにしてたのに。
「変なこと考えないでよ。誰が好んでそのうちおっさんになるキミと踊るのさ。これも計画の一つだ。」
公彦が言葉にする前にミラーボールが言った。競技場の観覧席には黒猫がふてぶてしく丸まっている。
ミラーボールは何かを思い出したように立ち上がった。
「そうだ!!まだ間に合うよね!ボクのサーカスを観に行こう!キミも気にいるはずだ。」
「まだあるのか。言っとくけどもうこれ以上お前とは…。」
「お願いだ。あのコの望みなんだ。キミは見たことないだろう?あのコのダンス。」
ミラーボールが帽子を脱いで頭を下げたので、公彦は渋々行くことにした。
講堂に付くと、まだサーカスはやっていた。
円形のステージの上で年齢はわからないが若い人が踊っていた。その人のことを公彦は知らない。会ったこともない。なのに何故か懐かしい不思議な感じを覚えた。
その人のダンスはまるで戦っているようだった。楽しそうなミラーボールのダンスとはまるで違う激しい戦いの中を先頭を指揮して進む力強さがあった。
瞳には今にも刺してしまいそうな怒りと悲しみとあらゆる感情が混じっていて、萎縮してしまいそうだった。
全てを焼き焦がし、だけどそれさえも光に変えるようなダンスは公彦の日常の悩みを忘れさせた。
あんな表情をする人もこの世にはいるのか。全てを包み込み、道を指し示す力強さ。自分にもあればな。公彦は人を導く人になりたいとその時思った。
巨大な卵が割れ、光となって霧消していく様をタイムワープは眺めていた。今のは一体なんだったのだろうか。
辺りを見回してみると、さっきまで騒いでいた人達が何事もなかったようにしている。まさかこれも時間や世界の歪みで起きた現象だというのか。
学園の講堂が何やら賑やかなことに気付いたタイムワープはそこへ瞬間移動した。そこでは特別授業と称してサーカスが行われていた。中心の人物を見るとやはりあのミラーボールだった。
「また余計なことを!団員の奴らもよく考えた方がいい!こんなサーカスにいても意味なんてないんだ!」
タイムワープは叫んだ。すると、
「そんなことないですよ。少なくとも私がそうさせません。」
口を挟んだのがいつも黙っている踊り子だったのでタイムワープはびっくりした。
「とりあえず私はミラーボール団長を信じることにしたのです。これは私の世界ときっと関係があることだと。」
「な、なんでそう言えるんだ。」
「なぜなら私が、世界最強のチームの指揮官だから。」
それを聞いてミラーボールはぱああっと顔を輝かせた。
「さすが!やっぱりキミは弥栄ヨリだ!」
「この列車もサーカスも、私の夢の中の話と関係があるのでしょう?それがわかるまでは私は降りませんよ。」
ヨリと呼ばれた子は堂々と語った。タイムワープは悔しそうに顔を歪めた。
「おや?」ミラーボールが足元を見るとさっきの黒猫と一緒にカモノハシが這って歩いていた。
「か、カモノハシ!?」
「なんだ、やっと出て来たのか。キミ達も一緒に行こうか。」
ミラーボールは猫とカモノハシを抱きしめるとヨリに言った。
「カモノハシは哺乳類も鳥も爬虫類も魚も、みんなと仲良くしたいって願ったんだ。まるでキミのようだね。」
「さあ?あなたにはそう見えるんですね。」
ヨリはたぶん初めてと言っていいぐらいの笑顔を見せた。
番外編 僕のタイムワープ
私がまだ自分のことを僕と言っていた頃、僕は名前で呼ばれず番号で呼ばれていた。
僕は物心ついた時から施設の中で暮らしていた。施設には僕以外にも20人の「家族」が暮らしていて、僕達はいつも何かの検査を受けていた。
スプーンが曲げられるかとか、物を浮かせられるだとか。
生まれてからずっと検査をしていく中でそれぞれにその人物の使える「能力」がわかってくる。
僕はその中でも時間や空間を超えて移動できるということがわかった。どこにでも行ける夢のような能力だと思うかもしれないが、僕達は施設の外から出てはいけないと大人達から言われていた。
大人達とは僕達家族に検査をしたり、他にも世話をしたり勉強を教えたりしてくれる人達だった。大体4人ぐらい男女二人ずつでやって来た。
大人達の話では施設の外は空気が汚染されていて、僕達の健康に良くないから危険なんだそうだ。だから僕は外に出なくても構わなかった。何しろ施設の中には本がたくさんあって、僕にとっては全然飽きなかったから。
むしろ本の中の世界に行きたかったぐらいだ。だけどいつしかわかって来るようになった。
海や砂漠は施設の外にあるのだ。一度ぐらい見に行ってもいいだろう。ある夜僕は大人達がいない間に海に行けるよう念じた。段々とさざなみの音が耳に響き渡り、足に砂の感触が感じられた。
ゆっくりと目を開けると夜の海はあまりにも壮大で足がすくみそうになった。いきなり鯨でも現れたら僕は気を失っていただろう。だけど海の向こうに見える街の明かりや灯台の光は、まるで銀河の駅みたいで感動した。この感動は僕の秘密として取っておこう。
僕は綺麗な景色を眼に焼き付けるほど眺めて施設に戻った。それからというもの、僕はみんなが寝ている夜中に色々な場所に行ってみた。夜の街には施設にはない美味しいものがあったし、世界遺産と呼ばれるようなところにも行ってみた。何しろ夜中なのであまり人もいないし、やばくなったら施設に移動すればいい。僕にはそんな能力があるのだから。
次第に僕は何故大人達は僕らを施設に閉じ込めているのか疑問に思った。確かに普通の人間が能力のある人間を見たら驚くだろう。だけど普通の人間は能力がなくても家族と暮らし、幸せでいる。だけど、僕達の親というものはどこにいるのだろう。
だけどそんな疑問を口にしたら今までの僕の秘密の時間もなくなってしまう気がして、僕は黙っていた。
「悲劇」、つまり僕にとって運命の日と呼べる出来事が起きたのは僕達が12歳になった頃だった。
ちなみにこの悲劇には僕は関わっていない。悲劇の登場人物はべにとよあけだ。
僕達は大人達からは番号で呼ばれていたが、子供達だけの時はそれぞれに名前を付けて呼んでいた。
べにとよあけは僕とは違い、女だったのだが、よく一緒にいた。
べには少し気難しいところがあり、化石やキノコの図鑑が好きでよく読んでいた。だから自分の世界を邪魔されると不機嫌になるので、よあけや僕以外の子供達とはあまり会話をしなかった。だけど本当は泣き虫で料理もうまい。キノコばかり入れるのは勘弁して欲しいけど。べにという名前は夕焼けの色をあいつが綺麗だと言っていたから僕が考えた。
べにの特技はどこまでも、誰よりも高く飛べるジャンプ力だった。一度施設の外へ出てしまうほど高く飛んだので大人達から飛んでも良い高さを規制されたぐらいだ。
よあけは、とにかく付き合いが上手かった。大人達の機嫌を良くするのも、子供達同士のトラブルを解決するのも。いつも明るく笑顔で、悩みなんてないような顔をしていた。
実は宇宙や星のことに興味があり、自分でもよく勉強していたのだが、偏りすぎると周囲とうまくやっていけないこともわかっていたので、バレないようにしていた。よあけは流行やファッションにも敏感で施設の中でも身なりには充分気をつけていたと思う。よあけという名前はやっぱり夜明けの空の色を彼女が好きだというから僕が考えた。
よあけの能力は、透明になったり透明にしたりすることだ。自分自身の姿を透明にするだけじゃなく、よあけ自身が望めばなんでも透明にできる。透明にするだけで無くなったわけではないので、誰かがそこにあったことを覚えていれば、1時間経てばそれは解除される。
二人は正反対のように見えて仲が良かった。周囲からは人付き合いが苦手なべにがよあけにくっついていたように見えていたかもしれないが、僕からしたらよあけはべにがいる時だけは自然体でいたような気がする。毎年行われる施設の発表会で二人が踊った時はまるで何百年も前から友達だったかのように息が揃っていた。
とにかくどちらにしろ、この二人とのことは昨日のことのように思い出せる。
悲劇が起きたのは子供達が全員12歳になって最初の検査の日だった。いつも通りの検査の他に二人だけ少し検査が長引くと言われていた。なんだろうか。僕にもわからなかったが、男と女ではこの年齢から色々変わってくるだろうから僕は詮索しないことにした。
検査が終わった僕は物理の本を読みながら過ごしていた。すると、ドン!! 大きな爆発音があった。
音は丁度べにとよあけが検査を受けているとされる部屋から聞こえてきた。僕はすぐにその部屋まで瞬間移動した。
そこには頭にコードを繋いだべにと、大人達が倒れていた。大人達は頭から血を流していて、助かる気配も無いように見えた。
「何があった?」
部屋の隅にいたよあけに僕は聞いた。よあけは「アタシがやったんだ。そういうことにしといて!」と言った。
だけど僕にはどうしてもよあけではなく、べにの検査によってこんなことが起きたのだと思った。
僕がどうしたらいいのか考えていると、今度は急に大きな物音と一緒に武装した大人達が何十人も入ってきた。
「見つけたぞ!!子供達だ!!」
そこから後のことは本当にあっという間だった。僕らはやって来た大人に保護され、呆気なく施設の外で「普通の」生活を与えられた。話を聞く限り、何年か前に生まれたばかりの子供達が大量に行方不明になったらしい。
彼らは人間の能力を拡張する実験台として、あの施設へ閉じ込められていた。それを行っていたのは「果実の同盟」という裏で世界を牛耳っている組織の末端だったそうだ。
その果実の同盟を倒そうと戦っている者達も世界中に存在し、彼らは「白鳥会」と呼ばれた。僕らを保護したのはその白鳥会のシマグニエリアを担当していた奴らだそうだ。
僕らはいくつか質問をされたが、不思議なことに僕以外のみんなは何も覚えていないようだった。能力のことも何もかも。僕はこれはみんなの記憶や能力をよあけが透明にしたからだと直感した。何故僕が影響を受けないかというと、時空を越えられる僕には記憶まで干渉することが出来ないからだと思う。
僕はその能力や賢さを買われて白鳥会に協力することになった。格闘術や、世界の本当の歴史、能力をうまく使いこなす方法を。どうやら能力者というのは世界中にいてそのうちの何人かはこういった組織に雇われてるようなのだ。
僕は「タイムワープ」と呼ばれるようになった。そして歴史のあらゆる分岐点となった時間と場所に行っては、「果実の同盟」を倒してきた。僕は時を駆ける殺し屋になったのだ。どちらが正しいとか考える余裕もなく、ただ僕らのように子供達が監視されないように、そして僕の家族の中で手を汚すのは僕だけでいいという気持ちで無心にそれを行ってきた。
それは一目にはあっという間だが僕にとっては果てしない時間だった。いつしか僕の心は年老いていき、自分のことを私と、まるで老人のように呼ぶようになった。
倒したものの魂は、白鳥会から与えられた鳥籠に入れて回収する。回収したものはどうやら丁寧に扱われ、宇宙の鳥へと還元されるのだ。これについてはよくわからないが、たぶん供養とかそういったものなのだろう。
そんなある日久しぶりにべにに会った。彼女は保護されてからは普通の教育を受け、普通に暮らしていた。
保護施設の廊下でべにとすれ違った時、彼女は口を開いた。
「ハウザー、よあけはどこに行っただ?」
その名前で僕を呼ぶ者が久しぶり過ぎて一瞬誰のことかわからなかった。僕は自分のことだとわかると振り返って言った。
「わからない。あれ以来会っていない。」
実際よあけには施設を出てから一度も会っていなかった。何でも都会の家に養子に入ったというが、本当かはわからなかった。だけどよあけは最後まで施設の爆発は自分がやったと言っていた。そんなわけはないのに。
これは僕が薄々勘付いていて、たぶん大人達にもそう思ったやつがいたのだと思うが、べにとよあけは他の子供達よりも能力が発展するのが早かった。そしてすごく力が強大でもあった。だから僕は時々二人は人間ではないのではないかと感じていた。姿は人間と同じでも例えばその遺伝子が人間とは違うのではないかと。
そんな話はファンタジーみたいだが、現に白鳥会で教えられた知識の中では人間以外の生物が人間に紛れて暮らしていても何ら不思議ではない気がした。
僕はべにが余計な騒ぎを起こしてはいけないと考え、言った。
「よあけは自分があの家を爆発させたと言っていた。きっとあいつも忘れたいんだろう。だからもう会わない方があいつのためになるだろうさ。」
「嘘つくな!そったらこと言ってオラが信じると思っとるんか?あの爆発はよあけのせいじゃないじゃろ?」
べには色々な方言が混ざったような話し方をする。そういう部分が他のやつらから不思議に思われるのに。
「あんた、何か隠しとるな?」
「隠してるっていうか、僕以外が何も覚えてないんだろ。」
「この前、ある人に会った。そしてこれを貰った。」
そう言うとべには、林檎型の小さな機械を僕に見せてきた。
「?なんだそれ。」
「運命ノート。世界のあらゆる出来事が書いてある。ここにこの前の事件のことも乗っとった。」
運命ノートだと?そんなもの聞いたことがない。
「待て。何だそれ。誰からもらったんだ?」
べには僕のネクタイをぎゅっと掴むと顔を引き寄せた。
「教えて欲しかったらべにのところへ連れていけ。あんた、それができるやろ?」
そうだった。ずっと忘れていたが、べには怖いのだ。
僕は色々と無理を頼んでべにとよあけが住む街にやってきた。白鳥会の力も借りてべにをよあけが通う学校にも転校させた。白鳥会の教育を受けるとわかる通り、学校なんて通う意味ないと僕は思うが、他のみんなは普通の暮らしをするべきだと思う。やっぱり「アオハル」っていうのは普通に生きてる奴らは経験すべきだろう。
遠くから見ていたが、よあけは最後に会った時よりも派手になっていた。最新の「ナウい」ものをたくさん身につけていて、友達がたくさんいた。
「ナウいなんて最近言わんわ。」とべにが言ったが似非方言妖怪に言われたくはない。
べには流行に振り回されずいつも通りだったが、色々心配はあったものの、二人の仲は元通りになったように見えた。
かと思ったのも束の間、ある夜二人は学校のプールの前にいた。僕はべににもう帰る時期だと迎えに行こうとしたのだが、二人ともう一人、よくわからない人物が話しているのが見えた。
途端にプールの中から巨大な蒸気機関車が現れた。「何だ…アレ…。」
僕が言葉を失っていると、プールから出て来た列車にべにとよあけは乗り込んだ。
「ちょっと待てよ!!」
慌てて僕は茂みから姿を現した。「どこへ行くつもりだ!?」
まだ列車に乗っていない人物、シルクハットを被った白と虹色の髪の不思議なやつは僕に気づくと振り返って言った。
「あの子たちは自分の運命と戦うんだ。大丈夫。絶対に危険な目には合わせないから。」
「お前は何者だ?」
「ボクは宇宙最大のサーカスの団長、ミラーボール団長だ。」
そいつは列車に乗り、月の向こうまで列車が見えなくなった。
ミラーボール?宇宙最大のサーカスって何だ?
あの列車は宇宙の彼方へ飛んで行ったように見えたが、僕が勉強した限り、列車が飛んで宇宙空間を走るなんてことはどんな技術を使っても今のところ不可能だ。あんなもの今まで勉強したどの知識でも教わっていない。
僕は呆気に取られ、帰ってから白鳥会にこのことを聞いてみた。僕が質問した学者の女性は銀河を走る列車のことは知らないみたいだった。しかし僕の質問に対して「もしそんなものがあるのだとしたら、その列車はとても個人的な理由で走っているのかもしれません。」と言った。
つまり白鳥会とも果実の同盟とも全く無関係だということか?それともそれも含めて全然別の勢力なのだろうか。
更に帰って来てから僕以外からべにやよあけの記憶が綺麗さっぱり抜け落ちていた。またか。また僕だけが覚えていなければいけない。
僕は自分の思考にまとまりがつかないまま、その後も永い時間を時を駆ける殺し屋として過ごした。
それからしばらくして、ある時代に移動した時のこと、僕はその街で奇妙なサーカス小屋を見つけた。もしやと思い近づいてみると、あのミラーボールとかいう団長が更に団員を増やしてショーを繰り広げていた。
僕はべにとよあけをテント小屋の中を隈なく探した。しかし2人の姿は見当たらなかった。
ショーが終わり、僕はミラーボールのところに行ってみた。ミラーボールはあの貼りついたような笑顔で笑っていたが、僕を見つけると瞳が曇ったようになった。
「キミは…。」
「2人はどこに行った?」
僕の質問には答えず、ミラーボールは帽子を脱いで頭を下げた。
「すまない。あのコ達はあのコ達の意思で遠くへ行ってしまったんだ。ボクも絶対見つけ出そうとしてるんだ。」
「危険な目には合わせないと約束したよな?」
「…ごめん。」
ミラーボールが何を言ってるのか信じられなかった。気づいたら私はコートの中に入っている拳銃を抜き取り、ミラーボールの脇に向けて撃っていた。
普通ならその後血飛沫が辺り一面に広がるのだが、ミラーボールの場合は違った。何かバリアみたいなもので跳ね返され、私が吹き飛ばされた。周囲にはガラスの破片が散らばっている。
ミラーボールは言った。
「ボクは死なない。死ねないんだ。」
私は顔を歪ませてその場からいなくなった。
それからというもの、私は銀河を走るミラーボールサーカスのことについて果実の同盟とは別に追うことになった。これは白鳥会でさえも把握し切れていない私だけで解決しなければならないことだ。
あの列車に乗っている人間がどんな理由で乗っているのか知らないが、1人の人間が世界からいなくなるだけで、またどこかの時空でサーカスが行われるだけで、世界の歴史がちょっとずつ変わってしまうのだ。
どんな目的で動いているにせよ、あの団長がやっていることは人攫いと同じだ。だったら僕がそれを止めないと。
もう二度とべにやよあけのような目に誰も合わないように。
私は少年の姿のまま、この思いだけを胸に時の渦を駆ける殺し屋、「タイムワープ」だ。
Piece Maker
音楽が鳴り止み、辺り一面に喝采が起こった。鰯のような顔をして魅入っていた観客も一斉に手を叩いている。いつものようなサーカスのクライマックスだ。
そんな様子を写真に撮っている者がいた。だいぶ昔の手でシャッターを引くタイプのカメラだ。撮っているのは、サーカスの方ではなく観客の表情だ。
彼はサーカス小屋の外にある露店に立つと、テントから出てくる客達に向けて言った。
「さあ、今日の様子を撮影した写真だよ。これがあれば今日の思い出も永遠になる。見るたびに思い出せるすごいものだよ。」
この世界ではまだ写真が珍しいのか、皆並んでそれを見ている。「でも写真ってお金持ちの人しか撮れないんじゃないの?」誰かが言った。
「うん。だけどここのは安いよ。」
写真を撮っていた人物は答えた。
「あの人は?」私が聞くとミラーボール団長がいつの間にか私の後ろに立っていて答えた。
「ゼロだよ。写真屋なんだ。」
ゼロと呼ばれた人物は長い緑色の皮のコートを着ており、髪は爆発したようなパーマだった。陶器のように真っ白な肌にはどこかこの世の者とは思えない人間離れした空気が漂っていた。
「次の世界でのキミの役目はゼロと一緒になるから。言っておくけど、ゼロは相当面白いコだよ。」
ミラーボール団長はぽん、と私の肩に手を置くと鼻歌を歌いながら行ってしまった。
列車の中にあるゼロの部屋で軽く面談というか自己紹介することになった。ゼロの部屋は他の団員もそうであるが、何というか独特な雰囲気があった。色々な国の儀式のアイテムみたいなものから、昭和のおもちゃというのかサングラスをかけたひまわりの置物だったり、フラミンゴの頷く置物だったり、ダッコちゃんがあったりした。
更に写真を撮るのに使う機材がたくさん置かれていた。昔のカメラから私の時代にあったようなカメラまで。
一つの映写機からスクリーンに二枚の青い幻灯が写されている。
「改めて、カメラマンのゼロだ。」
「弥栄ヨリです。よろしくお願いします。」
ゼロは何本かの飲み物を冷蔵庫から出して私の前に置いた。どれでも飲んでいいということか。
「と言っても、君には写真を売る作業をやってもらうだけなんだけどね。」ゼロが笑って言った途端、不意に表情が変わった。「あなた、どこかで会ったことがありますね?」
冷徹な研究者みたいな無表情で、だがしかしどこか驚いたような表情でも会った。
「たぶんサーカス列車の中で何度か会ってます。」私が答えると、「違う。そうじゃない。私の記憶のどこかで。/失敬。今のは気にしないで。」ゼロの表情がまた変わった。
「それにしても、写真ってどれも世界に1枚しかない素敵なものですね!」なんとか話題を繋げようと私が言うと、「おねーちゃん!」今度はゼロはいきなり私に抱きついてきた。
「ぼくのおねーちゃんだよね!ずっと会いたかったんだ!」
ゼロの顔がさっきとはまた変わり、無邪気な子供のようになった。私が反応に困っていると、「わっ、悪い!決してビビらせようとしたわけじゃねーんだよ!そ、その、なんだ、せっかく会ったんだし、一発やらねーか?/それを言うなら一杯やらないかでしょう。全く品格がない。ヨリさん、私達とお茶を一杯。」
なんなんだ、この人。変に口説いてくるなら逃げたほうが良いだろうか。ゼロは自分で自分の頬をぱちんと叩くと、言った。
「ああもう、どのみちバレてしまうか。ヨリ、無礼な態度を取って済まなかった。僕の中には僕以外の人格が3人いるんだ。」
ゼロは本当に済まなさそうに頭を下げた。つまりこの人は多重人格だということか。
「少しだけ、僕の話を聞いてくれないか?」
ゼロの話によると、彼は自分が何者なのかわからないらしい。ある日突然、彼はいた。そして同時に他の人格も彼が自分を認識した時から同時にいたという。
本来なら記憶喪失として施設などに行くはずがそうはならなかった。彼がいたのと同時に目の前にサーカス列車が止まっていたからだ。
「さあ、あの列車に乗るんだ。」
振り返ると後ろにミラーボール団長が立っていた。
「一つの身体の中に何人も入ってるというのは、更に自分が何者なのかわからないっていうのはボクにもとてもよくわかるよ。」
ミラーボール団長は言った。「だけど幸福を作るのは、何よりも楽しいことだ。」
ミラーボール団長に促されるまま、ゼロは列車に乗った。そして何故か最初から知っていたのがカメラを扱い写真を撮ることだった。
以来ずっと観客の笑顔を写真に撮っている。団員の写真も撮ることはあるが、売り出すのはやってはいけない気がしてゼロが個人的に保管していた。
「ミラーボール団長はいくら撮っても光しか映らないんだ。」ゼロはそんなことを言った。
ゼロ以外の人格は科学者で敬語の人物、クラ、子供のムー、そして乱暴で酒が大好きなボンである。
彼らは態度こそ失礼だが決して悪い奴らではないらしい。
おそらくゼロの多重人格のケースは精神的ショックによる人格分裂ではなく、何か霊的なものが憑いてるからだと彼は分析していた。たぶん医学の世界ではそれさえも病気の症状として診断するだろうが。
でも、最初の印象とは違いゼロはとてもいい人だった。次の仕事もうまくやっていけそうだ。
☆☆☆
蛇が3本巻き付いた鍵を見ながらミラーボール団長は呟いた。
「そろそろ彼を列車から降ろさないといけないみたいだ。真実を知るのは知らなかった時よりも一層強くショックを受ける時がある。それでも、しなければならない。そうじゃなきゃボクはここにいないんだ。」
ミラーボールが鍵をポケットに入れたのと同時に列車が止まった。
***
次に辿り着いた世界は急な渓谷の中にさほど大きくない都市があるという街だった。科学が発達しているようで、ソーラーパネルの屋根の建物や移動式のスクーターも電動である。
店の中にもロボットが稼働していた。しかしこの街のもう一つの特徴はあちこちに神社が建っていたことだ。街の中には神話の神様や鬼の銅像がいくつも建てられていた。
「ここは第二のテクノポリスになるはずの街なんだ。」
ミラーボール団長が言った。
「第二の?」
「東京テクノポリス計画だよ。知らない?」
そんなもの聞いたことがない。テクノポリスという曲なら知ってるけど。
「ああそうか、キミの世界ではそれはなかったことになってるんだったね。とにかくその計画は失敗したんだ。だけど次に計画を実行する都市をここにするなんて、奴らは何も怖くないのだね。」
ミラーボール団長が言ってることは相変わらずよくわからないが、この街には何故か親しみを覚えた。神話と鬼の伝説なら私の地元にもあったから。
私達はミラーボール団長が宿泊できる場所を探している間に街の至るところを散策して楽しんだ。神社の中には壮大な滝がある場所もあり、神秘的な感じがした。
ミラーボール団長は前に神社や宗教施設についてこんなことを言っていた。
「ああいう祈りを捧げるような場所に行ったら手を合わせてはダメなんだ。片手で指を2本立てて、指からビームが出ているようにすとん、と上から下に下ろす。そうやって封印を解いてやるんだ。ま、ボクには祈りを捧げる祭壇はないけどね。」
そう教えられてからいつものようにやっていた仕草をここでもする。
ゼロは離れた場所で珍しいのか、境内や辺りの景色を写真に撮っていた。 「ここはいい場所だな。初めて来た気がしない。」なんてゼロが言っていると、「こん、ちゃん?」
鳥居の向こうから一人の女性がやってきた。片にはカメラを下げている。
「やっぱりこんちゃんだ!!」
その人は走り出すとゼロの顔を確認して抱きついてきた。
彼女、空陽鞠(そらのひまり)さんはサーカスの団員を家に泊めてくれると言った民宿の娘だった。
髪が腰まで長く、なんというかどこかぽや〜っとしていて憎めないところがある。民宿には彼女が編んだというパッチワークの飾りがたくさん飾ってあった。
「ほんとにびっくり、まさかこんちゃんに似た人がサーカスにいるなんて。」陽鞠さんは食べ物をみんなの前に並べて言った。ミラーボール団長はすぐさま目の前の海苔巻きを頬張る。
「すごい偶然だよね。だけど運命って考えた方が面白いよ。」ミラーボール団長の言ってることに陽鞠さんは?という顔をした。
「ああ、この人の言うことは気にしなくていいんで。」
ピエロのハッピーが言った。
ゼロは何がなんだかわかっていないみたいで、陽鞠さんに聞いた。
「そのこんちゃんって人はどんな人だったんだい?」
陽鞠さんはにこっと笑って話した。「こんちゃんはね…。」
陽鞠さんの同級生だという四月一日紺(わたぬきこん)さんは学生時代の陽鞠さんと同じ写真部だった。部員は二人しかいないので、よくこの辺りの神社の写真を撮りに行っていた。
紺さんの父親は四月一日先生といってこの街に新しい科学技術を導入した科学者だった。つまり紺さんは高校生からこの街に引っ越してきたのだそうだ。
寡黙であまり人に心を開かない紺だが、写真は多弁だった。見る者の心を掴んで、まるでその情景が自分の記憶の一部なのではないかと思わせるような写真を撮った。
陽鞠は10代の頃は病気がちで入退院を繰り返していたが、紺の写真を見るといつも元気が出た。突然いつもとは違う体調の異変を感じ、陽鞠が入院した。その頃から紺は見舞いに来なくなった。
ある日ものすごくよく効くという治療薬が出来、陽鞠の体調は回復した。街中の全ての怪我人や病人がその薬のおかげで助かった。しかしそれと同時に、四月一日先生とその息子は行方不明になっていた。
「そうだったのか、大変だったね。」ゼロは言った。
「たぶん薬を作ったのは四月一日先生だと思うの。でも、どうしていなくなったのかは誰も知らないんだ。」
ミラーボール団長はにやっと笑いながらピザをつまんでいる。とうもろこしをドバッとかけて。
「写真だったらゼロも取ってるんだよ!ねえ、見せてあげたら?」顔が二つのレイとレンが言った。
「いや、今は持ってないんだ。それにきっとその紺って人の写真の方が凄いよ。」
ゼロは言いたくないのか席を立つとその場からいなくなった。ミラーボール団長がオムライスとスパゲッティを一緒に食べて、「これすっごくいいね!もっとないの?」と言った。
ゼロが部屋に戻ると、ボンが叫び出した。
「おいおいおい!ゼロ聞いたか!?ありゃあ絶対お前だぜ!さっさと思い出してあの子とくっついちまえよ!」
するとムーが自分の左頬をパンチした。
「えー?なんでおじさんそんなやらしいことしか言えないわけー?大体ぼくまだそんなのきょーみないし!ゲームのほうが面白いもんね!」
クラが出てきて言った。
「まだ四月一日紺とゼロが同一人物だという確証はないでしょう。しかし、もしそうだと仮定した場合、この街は非常に興味深い研究対象になります。でしょう、ゼロ。」
ゼロは蹲ると言った。
「どちらにせよ、あの陽鞠という子にはあまり近付かない方がいい。僕が四月一日紺だった場合、あの子が今の僕を知ったらとてもショックを受ける。そしてたぶん、僕らも。」
ゼロは今までに感じたこともない不安に動悸がしてきた。
サーカスは滝のある神社の開けた場所で行った。倫理的にどうなのかと疑問に思ったが、街の人達は皆歓迎してくれた。
「神の前で祭事を行うなら、儀式でもサーカスでも一緒ってことだよね!」
ミラーボール団長はそんなことを言った。
サーカスはなんの異変もなくいつも通り進んで行った。空中ブランコが始まるまでは。
観客達が驚いて見上げている途端、一人がばたんと倒れ出した。
「だ、誰か救急車を!!」
「ダメだ、もう…。」
突然のことにサーカスは一旦中止された。ミラーボール団長は最初からわかっていたみたいに、倒れた人の元へ駆け寄った。それを見て私も仰天した。倒れた人の皮膚がまるで彫刻みたいに石化していたからだ。まるでゴーゴンに睨まれたかのように。一瞬作り物かとも思ったが、どうやら違うようだ。この人の連絡先に連絡したらポケットの携帯が鳴り出したからだ。
「こういうことはよくあるんですか?」
ミラーボール団長が近くにいた人に聞いた。
「どうして…?」聞かれた人はなんでそんなことを聞かれるのかわからない様子だった。
「キミたちの反応がまるで見慣れたようだったからだよ。」
その人は答えた。
「はい、実は3年ぐらい前から人がこう、亡くなると石みたいになるんです。この人の場合も、死因は心臓発作かもしれませんが、この街の人はみんな亡くなるとこうなります。」
「キミたちはそれを受け入れているのかい?」
「まさか!どれだけ捜査や医学的な説明を訴えたか…。ですが、この街は都市からは非常に離れているため、よくある死後硬直だと取り合ってくれないんです。」
「なるほど。じゃあ、これは何かな?」
ミラーボール団長が手に持って見せたのは石化した遺体の側に落ちていた反射する鏡の欠片みたいなものだった。
「それは…欠片です。亡くなるとこうやって遺体の側に落ちてるんです。それは捜査や研究に必要だから、見つけたら医者か警察に渡すことになってるんです。」
「その通り。ここからは我々がなんとかしますよ。」
白衣を来た団体が遺体周辺を運んでいく。
「なんだいキミらは。」
「お気になさらず。」
そう言っているがめちゃくちゃ怪しい。街の人は違和感を持たないのだろうか。
「気になるよ。なぜってボクの団員が関係してるんだからね。」
ミラーボール団長は言った。どういうことだ?白衣の人はどういうわけかわからず、団員の顔を見渡して、ゼロと目があった。
「あなたは…。四月一日先生の…。ちょっと着いてきてもらえますか?」
そう言うと団体は結構強引にゼロを連れて行こうとした。
「おい!このクソ団長!全部知ってたのかよ!?」
団長は笑っている。
「そんなに乱暴に連れて行かないでね。ボク達も着いて行ってもいいよね?」
「申し訳ありませんが、関係者以外の者は…。」
「ボク達は関係者だよ。銀河のサーカス列車の話を知らないのかい?」
すると、団長がどんな方法を使ったのかわからないが白衣の団体は急に団長の言う通りになった。
案内されたのは山の奥の方にある廃病院の地下だった。
案内した人物がゼロを見て話し出す。
「四月一日先生には本当にお世話になりました。数年前、どんな病気も治る薬を開発してくれたのですから…。」
ゼロは困ったように話した。
「残念だけど僕には自分の父親なんてよくわからないんだ。僕が四月一日紺だという確証もない。一体この街はなんなんだ?」
「我々は人間の記憶を永遠に保存しておける研究チームでした。そしてこの街の神社、特に鬼の祀られている神社には「世界の記憶」といって、地球で起きた事象を全て記憶として保存している有機物があると言われていました。
我々は眉唾だったのですが、四月一日先生はそういった話も受け入れる方でした。「世界の記憶」のDNAを採取した四月一日先生はそれが人間のどんな怪我や病気も治すことを発見しました。
なのでそれを街の病院に寄付したのです。そのおかげで街の人の体調は皆良くなりました。
ですが、これには代償があったのですね。「世界の記憶」の遺伝子はそれを摂取した人間が生きている時には発見できない。しかしその人が亡くなると、体内の養分を全て抜き取り、このように固形化するのです。」
白衣の人物はさっきのガラスの破片みたいなものを見せた。
「これこそが素晴らしい発見だったんですね。この破片は人間の体内の養分だけではなく、その人の記憶も保存している。だからまたこれを液体化して別の人間に埋め込むと次の人間に継承できる。その人間が亡くなったらまた二人分、三人分と記憶を継承し続けることができる。
まだ表には公表されていませんが、既に政府や有名人の中にはそれを試していますよ。たまに死因が公表されない人がいるのはそのためです。」
ゼロは真っ青な顔になって聞いた。「何のためにそんなことをするんだ?」
「何年も人類の記憶を受け継ぎ続けて、人類が滅びた時に世界を作るためですよ。この欠片を集めて地球に存在した全ての人類の記憶を管理した世界を作ったら、いつか進化した生命体や他の星の惑星の生物が見つけてくれるでしょう。我々がここにいたことを覚えていてもらいたいじゃないですか!」まるで悪気がないようにその人は言った。
「これこそが誰一人取り残さない永遠の世界存続計画です!」
ミラーボール団長の眉が一瞬だがぴくっと動いた。
「違うよ。キミを一人にしないための世界存続計画だ。」
「?どちらも同じことでしょう?」
「違うね。…キミたちは、果実の同盟なのかい?」
「ああ、たまにいるんですよね。果実の同盟が全て悪の組織だと思ってる方。我々は悪魔的な儀式や人を傷つけるためではなく平和や友愛の精神で動いているのです。そしてこの世界が平和になるような発見をしてくれた四月一日先生はまさにピースメイカーなんですよ。」
鏡のような欠片がキラッと光った。
「僕もそれに触ってもいいかい?」
「ええ、もちろん!」
ゼロは欠片に触った。そして倒れた人の記憶が彼の中に流れ込んでくるのを感じた。そしてそれと同時に、自分の失われた記憶も、流れて来た。
宿泊施設で待っていた巡は部屋の布団を変えに来た陽鞠に聞いてみた。
「陽鞠ちゃんって紺ちゃんのことが好きなノ?」
あまりのことに陽鞠はその場に布団を落とした。
「えええ?ち、違うよ?たぶん!」
今まで自分が誰かを好きだなんて考えたこともなかった。だけど紺がいなくなってから1日でも彼のことを思い出さない日はあっただろうか。
もしかしたら、ちゃんと考えて来なかっただけで自分は紺が好きだったのかもしれない。
陽鞠は顔を赤くしていたが、急に心臓が痛み出した。子供の時によくあった症状と同じように。
「陽鞠ちゃん!?」
巡は慌てて陽鞠に駆け寄る。見ると陽鞠の指先がどんどん石に変わって行った。
「ど、どーしよう…。」
巡は蛇が巻き付いた鍵を持って姿見の中に飛び込んだ。列車の中の団長の部屋に行きダイヤルを回さずに電話の受話器を取る。不便だがこうでもしないと、団長に繋がらないのだ。
「ひ、陽鞠ちゃんが…!!」
「大丈夫。わかってる。もう着いてるよ。」
巡はうわーんと泣き出した。
***
巡ちゃんの部屋で倒れていた陽鞠ちゃんを見つけると、ゼロは、いや四月一日紺は彼女に駆け寄った。
陽鞠ちゃんの口元に自分の口を重ねるとみるみる石になった部分が元に戻っていく。
陽鞠ちゃんが薄く目を開けた。
「紺ちゃん…どうして?」
「全部思い出したよ、陽鞠。僕はこの街の人達が埋め込まれたものを吸い取る能力がある。」
「ちなみに他の人にはキスはしないつもりだよー。」
ミラーボール団長が言った。
そして自分がサーカス列車に乗った直前のことに付いて説明した。
***
「こんなの狂ってるよ!父さん!」
紺は父の研究を知ってしまい、ある晩それを止めようとした。
「いえ、これは人類にとって非常に重要な進歩です。あなたにも時期わかるでしょう。」
冷徹な父はいつもこうやって紺にも慇懃無礼に話した。
「だからって!子供とその辺の人を実験台に使うなんて!」
研究室の台には街でアル中と言われていた浮浪者と余命わずかもなかった病気の孤児が横たわっている。どちらも石化したのだ。紺の父親が実験に「世界の記憶」を埋め込んだのだ。
「あなたも今のうちに埋め込んでおきましょう。そうすれば遠い未来、永遠に存在できます。」
「やめろ!!」
取っ組み合いになり、打ちどころが悪かったのか紺の父が頭を打って倒れた。途端に彼はみるみるうちに石になっていった。なんと彼は自分にも「世界の記憶」を埋め込んでいたのだ。
紺は何事かわからず、石化した父の側にあったガラス片を取った。するとそれは紺の体内に入って行き、父の姿も霧消した。驚いた紺は浮浪者と子供の側にあったそれにも触れた。そうして、4人ともがどういう状況なのか全ての記憶を失くしたまま、多重人格者になっていたのだ。
「どうです?さぞ素晴らしいでしょう?そうだ、あなたがピースメイカーの後継者になれば四月一日先生も喜びますね。」
果実の同盟の人は笑顔で言った。と思ったが、「うひゃい!!」突然何者かに脳天を貫かれていた。
見ると病院のあらゆるところにいた人達が同じように倒れている。
「タイムワープ!!」
時を駆ける殺し屋、タイムワープが盛っていた鳥籠を開けて遺体を光の粒にしてしまっていく。
「歴史を間違った方向に持っていくやつは私が許さない。」
そして傘を広げるとこう言った。
「この街の医療関係者や警察は全て始末しておいた。もうじき都市の方から真実を知る警察や医療関係者が着くだろう。」
この世界には嘘で騙す人達だけじゃなく、本当に人を救おうという人達もまだいるのだ。
タイムワープはまたどこかへ消えて行った。
陽鞠が回復するとミラーボール団長は言った。
「さて!ではゼロ、元気でね!」
「何だって?」
「キミは自分が何者なのかわかったんだからもうサーカスにいる必要はないんだよ。キミはキミのやるべきことを。」
あまりのことにみんな動揺している。
「だってこの街全員の体内に入ったものを全部吸い取るなんてどうやって…。まさか全員に抱きつけばいいって?」
「世界の記憶を吸い取るのは写真を撮るのでもできるよ。そう言えばこの街には写真屋さんがないんだって?さぞお客さんが来るだろうね。」ミラーボール団長はにやっとしながら
陽鞠ちゃんを見た。
「そ、そうなんだ。私がやってみようかとも考えたんだけど、私一人じゃ大変で、紺ちゃんさえよかったら…。」
何故か陽鞠ちゃんは赤くなっている。
「絶対やりましょ!!すぐやりましょ!!」何故か巡ちゃんがそう叫んだ。
だが私は一つだけ、(本当はもっとたくさんあるが)気になることがあった。
「もしゼロ…紺さんが世界の記憶を吸い取れるとして、そうしたら紺さんが亡くなった時にまた石になるんじゃないですか?」
ミラーボール団長はえっへんと咳払いした。
「それは全部ここに集まるから心配ない!」
団長はいつも持ってるステッキを見せた。確か前にも何度かこのステッキは誰かの魂や記憶を吸い込んで行った。
「このステッキの中にある世界に全て移行できるんだ。」
全てがわかった途端、クラ、ムー、ボンはゼロの中から出て行った。
「アルコールばかりの人生だったが、お前たちのおかげで楽しかったぜ!」とボン。
「ぼくはサーカスっていうゲームが出来て生きてるって思えたよ!」とムー。
「あなたは私の息子だったのですね。でも、これで分かりました。世界全体の幸せは誰かの独りよがりを押し付けて実現するものではなく、側にいる大切な誰かを一人にしないことだったのですね。紺、すまなかった。こんな父親だったが許してくれないか。そしていつまでも、愛してる。」
ゼロは共にサーカスの時間を共有した仲間に別れを告げた。
列車が発車して手を振る紺さんと陽鞠ちゃんが小さくなっていく。自分が何者かわかれば、こうやって列車を降りることになるのか。
ミラーボール団長はコーヒーとオレンジジュースを交互に飲みながら足を組んで座っていた。
月を擦り抜け、窓の外の景色が銀河の異空間に変わる。
私はもう一つ、疑問、いや確信に近いことを確認しようと思って団長に尋ねた。
「今回の世界にも果実の同盟は現れましたね。それに、時を駆ける殺し屋、タイムワープも。自分でもまさか今までにあったことが事実だなんて信じられないんですけど…。」
ミラーボール団長は私の目をじっと見つめている。
「この列車は実は、別の世界を移動しているのではなくて、一つの同じ時間軸を移動しているんじゃないですか?」
ミラーボール団長は聞かれることを歴史の一部として知っていたかのようににやりと笑った。そして話し始めた。
「ボクという現象は仮定された有機交流電灯の一つの青い照明、つまりあらゆる透明な幽霊の複合体なんだ。」