YAYA

小説を書く用のブログです。いつか出発することを目標にしています。

Menagerie 中編

 ピエロ達の中心でなんとか教えてもらった振りを踊っていると、突然空間が揺れて傾き出した。そういえばここは電車の中だった。動きに合わせて列車の前方部分に滑っていく。

「これは、電車が止まったな。」

マッシーが呟いて練習場のドアを開けて外に出た。サーカスのみんなも同じように外へ出て行く。するとそこは、砂漠の真ん中だった。

 


 焼けつくような太陽とどこまでも続く砂の大地。よく見るとサーカス列車の姿は既になく、駅や線路といったものも見当たらなかった。代わりに大きなオアシスと、幾つものテントが張られていた。テントはみんなで設置しているものもある。

 団長の姿を探すと、暑そうに遠くを見ていた。頭のシルクハットをターバンに変えて衣装も砂漠の気候にあったようなアラビアンな格好に変わっていた。

「あの、電車は?」

「うーん、そのオアシスの中じゃない?」

しかし泉を覗いてみても透き通るブルーではあるが、中には何も見えない。

「あの列車は映るものと映るものを移動してるんだ。夜だと別世界の月と月を移動するんだけどね。もし危険だと感じたらこれを持って映るものにでも飛び込んだらいいよ。」

ミラーボール団長が手渡したのは鍵だった。表面に蛇のデザインがしてある。

「オアシスがあったのはラッキーだったね。今日はここでひとまず休もう!それから、目に砂が入ったら大変だからみんなターバンを巻くかゴーグルをしておくのを忘れずにね!」

ミラーボール団長が声を張り上げ、みんなそれぞれの練習を始める。マッシーが「ここはやりがいのある気候だ。」と言うと、彼の袖や靴や服のあらゆるところからヘビが這って出てきた。すごい。

 でも、私は?この砂漠の真ん中で私に出来ることなんてあるのだろうか?

「おい。」

後ろから声がして振り返るとトムさんが私の服の裾を掴んで話があるという合図をした。

 

 オアシスの隣にある木の陰にそのテントがある。中に入ると冷凍庫のように寒かった。

「ここは不思議な力でどんな気候でもアイスが保存できるようになってんだ。ここのアイスを味ごとに仕分けといてくれ。」

トムさんは葉巻を咥えて外で待っていた。「お前は側に誰もいない方が集中できそうだからな。」

確かにそうだ。だけど、テントの中は寒すぎる。事前に防寒着を借りられるか聞くべきだった。するとテントのチャックが開き、私と同じサイズのコートが置かれていた。

 まさかトムさんが?怖そうと勝手に思ってたけどいい人なのかも。およそ1時間かけてアイスの味を箱ごとに分けると外に出た。氷のように冷たくなった肌に温かい日差しがかかり一気に救われた気持ちになる。地面の砂も青いオアシスも途端に美しいものに見えた。

 トムさんが金縁のサングラスをしてテントの側に寝転がっている。私が出てきたのに気づくと、サングラスをずらしてこう言った。

「これでお前は砂漠に文句なんかなくなるだろ?」

器用な伝え方ではないかもしれないがトムさんなりに私が不安にならないようにしてくれたのかもしれない。

 


 夜になりみんなそれぞれのテントの中に戻っていく。空には一つだけ目を引く一番星が光っていた。私はテントには戻らず、ずっとトムさんと並んで景色を見ていた。トムさんは特に何も言わなかったが、それが不思議と安心できた。

 しかし一番星が出てきた時にずっと黙っていたトムさんは口を開いた。

「アイツと会った時もあんなふうに一番星が見え始めた時だな。」

「アイツって?」

「ミラーボールだよ。俺達は林檎の木の下で会ったんだ。」

トムさんは思い出すように話を続けた。私に話を聞いて欲しいというより、自分自身が話してしまいたいような感じだった。

「俺は首を括ろうとしたんだ。」

「…え。」

「産まれた時から俺には金があった。しかも俺の見た目がこうだから母親は俺に莫大な遺産を残していた。だから親が死んでからも、俺はあまり不自由なく暮らせたんだ。だが俺の遺産を狙っている奴らはたくさん現れた。その度ごとにうまく切り抜けたが、俺は誰も信じられなくなった。俺が本当に欲しかったのは金じゃねぇ。やりがいのある仕事だった。」

「それが、サーカスの仕事?」

「ある時俺は金なんて誰にでもくれてやるからこんな人生もう終わりにしてやろうと住んでいる家の近くにあった林檎の木の下に行ったんだ。その日はすごくイライラしてたんだろう。全てなくなってしまえという勢いで家の鏡という鏡を割ってやった。俺は自分の姿なんて大嫌いだったからな。気が済んだところで縄とバケツを持って自分が一番届きそうな枝の下まで歩いて行った。そしたら急に声がしたんだ。何をしてるのかと。

 


 振り返るとミラーボールが立っていた。

 


 あんな妙な奴は今まで見たことがねぇ。だが、俺はずっと前にそいつとどこかで会ったことがある気がした。俺はほっといてくれとアイツが去るような態度を取ったが、アイツはこう答えたんだ。ボクのサーカスに入ってよ、とな。なるほど確かにアイツの格好はサーカスのリングマスター(団長)みたいだからな。ただ俺はすぐにはイエスと答えなかった。俺を見世物にするためにサーカスに誘う奴なんて何人もいたからな。ここで立ち去らないなら顔を噛みちぎってやるぞと脅しもしたがアイツはなんと俺の目線にしゃがむと頭を下げ出した。このとおりだ、今はまだメンバーがいない、だからトムだけが頼りだのと俺が名乗ってもねぇ俺の名前を出して来やがった。丁度俺が空を見上げると一番星が光っていた。ヤツの目を見ると同じような一番星の輝きをしていると感じた。だから俺はちょっとした気まぐれであの列車に乗っちまったってワケだよ。」

トムさんは口から煙を吐き出す。

「それでも最初っから信用があったワケじゃないぜ。初めの頃俺達には絆が全くなかったからな。団員はまだ俺とアイツだけだったし俺もこの列車のことを理解するのに時間がかかったからな。だが団員を集めるために世界から世界へ移動するうちに俺達はちょっとずつ意思の疎通が取れるようになった。アイツは俺を笑い者にするために団員にしたんじゃないことがわかったのさ。それでオレもアイツを信じることにしたまでだ。それにアイツは最初に会った時から感じていたように俺にはずっと前に会っていてずっと俺を探していたような気がするんだからな。」

「それは誰なんですか?」

 空にはやがて目がいくらあっても足りないぐらいの星々が瞬いていた。

「さあなぁ。ずっと昔からのダチのような気もするし、もしかしたらちょっとは、母親みたいって思ったかもなぁ。なんてアイツに絶対言うなよ?」

トムさんはちょっと焦ったように私を見た。トムさんとミラーボール団長は不思議な絆で結ばれているんだろうなあ。

 空の星が光り過ぎていて、トムさんの目も潤んでいるように見える。

「もし願いが一つ叶うとしたら、母ちゃんの膝枕でまた眠りてえなあ。」トムさんがぽつりと溢した。

「…私のでよかったらどうぞ。」

「ああ?」

自分でも何を言ってるのかわからなかった。ただ今は星空の下の奇跡が隣にいる誰かの願いを叶えたいと感じさせたのかもしれない。

「じゃ、じゃあ今日だけはお邪魔するぜ。ただそのかわり、ヨリ、てめえ…」

「な、何ですか?」

「俺にさん付けすんのやめろや。もう、仲間なんだからよ。」

砂漠の中の小さくて強い彼はそう言って私の膝の中で眠ってしまった。

 朝が来て、また日差しが強くなると遠くから鈴の音が何層にも重なって響いてきた。みると10匹程のラクダの列にターバンを巻いて豪華な荷物を持った人間たちが乗っている。

「おっと、キャラバンだ!」

 ミラーボール団長はいきいきとテントから出て来るとこちらに向かってくるキャラバンに向かい手を振った。

「おーーーい!すみませーーん!!」

先頭の人間が団長を見つけるとキャラバンは団長の前で止まり、尋ねた。

「なんだお前たちは?」

「ボク達はサーカス団ですよ。ここらにサーカスができそうな国がないか探してるんですが、みなさんはどちらに行かれるつもりで?」

「ふん。見世物小屋か。俺達はここから東の方にあるハメキト国へ行くつもりだ。もう今日には着くだろう。」

ミラーボール団長は目をキラキラさせて先頭の男の手を掴んだ。「ボク達も一緒に行っていいですか!!」

あんな子供みたいな喜び方は団長の才能だろう。あの人が頼み事をしてきて断る気になる人はいないんじゃないか。キャラバンの男も放っておけなくなったのか一緒に来るといい、なんならラクダの背中に乗っていくかなどと気を回している。そこに、国の名前を聞いて明らかに様子が変わった者がいた。

「ハメキト、だと?」

 蛇使いでありダンサーのマージャ・フォッシーことマッシーだった。

 

 

 

 団長の交渉でキャラバンのラクダに乗せてもらうことになった私達は熱い日照りの中を進んで行った。何キロかすると交代でラクダに乗り降りして移動していく。

 出発する前にオアシスから大量に水を汲んできたので喉が渇くと水を飲んだ。ミラーボール団長は何やら1人でラクダに声をかけたりしていたが、水は一滴も飲まなかった。あれだけ喋っていて喉が渇かないのだろうか。

 マッシーはあれから一言も口を開くことは無かった。

 夕方、空がピンク色になりだした時、砂漠の中に何やら光輝く球のようなものが見えてきた。あれはアラビア風の画像で見たことがある。段々と近づいてきて私の予想は確信に変わった。宮殿に近づいてきたのだ。

 煌びやかな都市がどんどんと近くなってくる。布の衣装を着た人々が増えてくる。街の人々は突然やってきた集団に何事かと驚いているしやはりミカやトムはその中でも目を引くようだ。まあ、サーカスは目を引く人ばかりだけど。

 私はと言えば格好も男っぽいものにしていたし(女性は売られたりする可能性があるとか)ターバンで深く顔を隠していたのでそこまで目立つことはなかった。

 キャラバン隊はラクダを止めると王国の入り口で市場をやる取引をした。ミラーボール団長も取引しようとすると、

「サーカスか?そんなもんやるならハメキト王に直接取引することだな。」

「えー?」

「ハメキト王は偉大なるマジシャンなんだよ。だから見世物やマジックの類いは国王に認めてもらわんとこの国で発表はできないんだよ。」

 

 ということで私達は結構すぐに宮殿に通された。団員が多いので中庭で待っているようにという国王からの指示があった。中庭には、ジャスミンやラベンダー、ハイビスカスやブーゲンビリアといった花々が咲き誇り大理石でできた孔雀の噴水が真ん中に聳えていた。

「すると、そなた達が我が国でサーカスをやりたいという者達だな?」

声がして振り返るとハメキト王らしき人物が歩み寄ってきた。赤、黄、緑の信号機カラーの衣装に赤いターバン。真ん中には赤い羽と金色の宝石が付いている。右腕には蛇がとぐろを巻いた腕輪がはめられている。国王というだけあってこれまでの道で会ったどの人よりも高級そうな装いだった。結構な老人を想像していたのだが、ハメキト王は思っていたよりも若かった。10代、20代ではないだろうが例えばトムやマッシーと同じくらいには…。

「私がハメキト王だ。それで、何日くらい滞在するつもりかね?」

ハメキト王は怪訝そうにミラーボール団長の顔を覗く。

「1週間くらい。開催は最後の3日間。それまではショーのプロモーションだったりちょっとした店をやるよ。」

「ふーん?言っておくが私よりも優れたショーの出来るヤツなどおらんぞ。」

ミラーボール団長はクスッと笑う。

「それは、どうでしょうね。キミが世界一ならボクは宇宙一のショーが出来るから。」

団長は以外、でもないが自信がかなりあることを知った。2人の目線から火花が迸る。ハメキト王は数秒団長のことを睨んだ後、ふと後ろの方に目をやった。

「おや?見たことのある顔がいると思ったら、お前じゃないか。マージャ・フォッシー。」

マッシーは気づかれたくなかったような反応をしたがすぐに笑顔になると「久しぶりだな。ハメキト、今はハメキト王と呼ぶべきなのかな?」と言った。

 ハメキト王は面白くなさそうな表情になった。

「お前はある日突然いなくなったと思っていたが、まさかサーカスにいるとはな。」

どうやら2人は知り合いだったらしい。ハメキト王はまたミラーボール団長を見るとこう告げた。

「まあいい。マッシーがいるのなら確かに優れたサーカスなのだろう。この宮殿に泊まると良い。ただし、城の裏の砂漠にだけは絶対に行かないように。」

ハメキト王は自室に帰っていった。右腕の蛇がぼんやりと赤く光っているような気がした。

 次の日から3日間の公演に向けての練習が始まった。私の出番が来るのかは未定だが、マッシーは念の為にとダンスの練習をそのまま続けるようにと言った。

 ピエロの1人、ハッピーが耳打ちしてきた。

「しかしこの国の王がマッシーの知り合いだなんてね。何があったのか聞いてきてよ。」

ハッピーは顔の筋肉が吊りそうなくらいにニヤニヤしてる。眩しそうな猫みたいな顔だ。

「人の秘密を知ろうだなんて最っ低だな。」ラビットがちょっと呆れた顔をする。

「そんなこと言ってあんたも知りたいんじゃないの〜?」

ハッピーがラビットの髪の毛をわしゃわしゃと掻き回す。爆発したような癖毛がぴょこぴょこと跳ねる。

「そんなの、知りたいに決まってるっしょ〜!!」

ラビットが跳ね回る。なんなんだ、こいつら。私の目の前にトランプのジョーカーが一枚現れる。見るとピエロのカーニバルがいた。

「ピエロの仕事は徹底的にジョーク。存在そのものがジョークなんだよ?」高くて子供みたいな笑い声でカーニバルは笑い転げる。ちゃんと見たことはないがこのピエロ達とミラーボール団長が会話したらどうなるんだろう。

 マッシーは練習場の端で蛇達と柔軟な動きを模索していた。とても話しかけて良い状況には見えない。

 私は別に彼とハメキト王の関係について知りたいとは思わない。だけど知り合いがいることでやり辛くなってないといいなとは思った。

「みんな!!ショーの時間だ!!」

扉が開いてミラーボール団長が現れる。

「でも今日はまだ公演はやらないんでしょ?」

と聞いたが団長は腕を広げてこう言った。

「最初は公演のプロモーション。大規模なメナジェリー(動物展示会)と行こうじゃないか。」

ミラーボール団長の言葉でみんなは思い思いの準備に取り掛かる。するとミラーボール団長はこそっと私の耳元で話してきた。

「ハメキト王は裏の城の砂漠には絶対行くなって言ってたよね。でも、絶対行くなって言われるような場所、見てみたくない?」

サーカスの人はつくづく耳打ちが好きみたいだ。

 


 私が街の広場に着く頃にはたくさんの動物達がケージに入ったまま並んでいた。こんなにたくさんの動物、オアシスにいた時にはいなかったのにどうやって用意したのだろう。

 たぶん鏡の中に列車を止めておいて必要な時に連れ出したのだろうが。私は段々とみんなの話を聞いていくうちにこのサーカスの列車について確信していることがあった。

 列車は鏡と鏡、水や映るものの間を移動している。普通の人にはそれが見えないが誰かが鏡やガラスを割った瞬間、それは列車がやってくる合図として特定の者の前に現れるのだ。オアシスに辿り着いたのはどうやってかわからないが、宮殿に徒歩で行けなかったのはオアシスの水から次に映るものへの距離が砂漠の中ではあまり無かったからではないか。

 ただ、動物達を取り出したのだとしたら。もしかしたら列車はミラーボール団長の行く方向へ動いているのかもしれない。直接誰かに聞いたわけではないあくまで私の仮定だが。

 広場にはラクダや象、キリンやフラミンゴ、虎から73匹の白い猿、53匹のヒツジ等がいた。

「ヒツジはボクの大切な友達からもらったんだ。そういえば今頃彼は何してるんだろうなあ。」

 ミラーボール団長はわけのわからない独り言をぶつぶつ言っていた。

 


 動物の展示だけでなくいくつかの屋台も並べられている。巡やピエロ達は景品付きのゲームを担当していて、子供達は次々と好きな景品をゲットしていく。

 私は何をしたらいいだろうと彷徨っているとトムが手招きしていた。アイスキャンディーの屋台だ。

「お前はここでアイスを売るんだよ。」

そう言うとトムは屋台の上にある樽の上に胡座をかいた。樽の上に不機嫌そうな小人が座っているというのはそれだけで結構目立つので街の者達は何事かと集まってくる。するとトムはどこからかアコーディオンをさっと取り出し、樽の上でタップダンスを始めた。

 大衆はその出来栄えに喝采を送る。子供達も楽しそうに見入っている。トムはいつもの仏頂面ではなく楽しそうな笑顔で私を振り返った。

「何やってんだ!ヨリも早く踊るんだよ!」

私は出鱈目だが思うままに踊り始めた。動物達も楽しんでいるように見える。そのまま屋台の前には行列ができ始め、みんな次々にアイスを選んでいく。日差しが強いこの国ではアイスはよく売れた。しかし、お代は先に団長に払っているとかでお金は取らなかった。

 1人の少女がやってきた時私はその子が選んだアイスを取ってあげた。まだ3歳ぐらいだろう。アイスを渡そうとするとその子は私にむけて手を伸ばしてきた。

 その時の不思議な感覚が私には忘れられない。今まで私は人から拒まれるような体験しかしてこなかった。だが目の前のこの子は私がどんな人間かなんて関係ない。ただこの人は自分にアイスをくれる人なんだと信じて私を求めてくる。

 少女はアイスを受け取ると本当に美味しいものなんだと見る側にも感じさせる笑顔でそれを頬張った。

「ほんの一瞬の幸せが誰かにとって最大限の幸せになる。これが仕事のやりがいってものだ。何をするにしてもな。これでお前もわかっただろ?」

トムが私に話しながらアイスを齧っていた。

 


 ☆☆☆

 


サーカスの団長、ミラーボールは動物や屋台を楽しむ人々を嬉しそうに眺めていた。これこそがボクのモチベーションだと言わんばかりに。

 すると国の入り口で門番をしていた男がミラーボールに近づいてきた。声を顰めてこう話す。

「しかし、よくハメキト王から許可を貰ったな。今までのやつらなんて無理だった。」

「へー?」

「この街ではマジックや見世物、さらには歌や踊りなんてのは王に認められない限りやっちゃいけねぇんだ。認められるやつだって城の中にいる。」

「城の中?」

「この国でそういった芸術をやりに王に許可を取って帰ってきたやつはいないってことだよ。」

それだけ言うと男は行ってしまった。

 ミラーボールはまるで自分は大丈夫とでも言うように笑っていたが、背後のワゴンにどこからかやってきた赤いインコが止まると一瞬無表情になった。だがすぐ笑顔になると、

「もしかしてハメキト王の噂にはキミが絡んでいるのかな?」

インコは何も答えずにミラーボールの頭を突いてきた。どうやら威嚇しているようだ。

「わー!!ごめん!!ごめんって!キミじゃないんだね?」

鳥は何も言わない。ミラーボールは腕を組んで考えるポーズをする。

「それじゃ、何とかしなくちゃいけないってことだね。」

ミラーボールは楽しみを見つけた子供のような声で言った。鳥は今度も何も言わずワゴンの中にあったアイスを嘴と足で掴めるだけ掴むと遠くに飛んで行ってしまった。

「全く、自分の欲しいものだけはもらえるだけもらっていくところは相変わらず変わらないなあ。」

太陽に目掛けて飛んでいくインコを見やりながらミラーボールはため息をついた。

Menagerie 前編

 紫色の煙が蛇のように天井へ巻き上がる。ただ薄明るいだけのここは樽やなめし皮のような香りが鼻腔を貫く。

 一筋の煙の中にジャスミンやラベンダーが香る灰色の煙が混じる。

「ちょっと失礼するぜ。」

声の主は葉巻を加えながら煙管を吸っていた先客に許可を取った。ここはサーカス列車の喫煙車両だ。

 「次の場所はどこになるんだろうな。」

葉巻の主は煙管の主に問いかける。

「さあなぁ。どこであろうと楽しむだけさ。」

沈黙の中漂う2種類の煙の中に硝子のように煌めく泡が舞ってきた。

「なんだおまえかよ。」

葉巻の主が呆れたように扉を見るとサーカスの団長が立っていた。

「全く、煙草が吸えないから代わりにシャボン玉を吸うなんてどういう発想だよ。だったら無理してここに来なくてもいいだろうが。」

サーカスの団長、ミラーボールはにこっと先客の2人を見ると黙ったままシャボン玉の吹き棒をシャボン液に浸した。

「お前と会ってからどれぐらい経ったんだろうな。最初にスカウトしたのはここにいる俺たち2人だっだが。」

葉巻の主は思い出すように壁を見つめる。ミラーボールは部屋に漂うシャボン玉を楽しそうに見つめながら口を開く。

「まあね。そういや、新しいコが入ったばかりなんだよ。2人に是非指導してもらいたいと思って。」

「何だと?」先客の2人は声を揃えた。

「あと、ボクは別に無理してないよ?今日のシャボン液は濃厚な赤ワインを混ぜてみたんだ。」

相変わらずこの団長の言うことは支離滅裂だ。ミラーボールは団員2人を見てもう一度にっこり笑った。よく見ると薄ピンク色のシャボン玉は3つの泡が重なって、象のように見えた。

 「じゃーん。かんせーい!!」

巡とミカが制作した衣装に袖を通すと何者でもない自分でも、まるで物語の登場人物になれたような気がした。

 サーカスの踊り子と言うからもっと露出の強い羽でできたような衣装を想像していたが、実際はもっとレトロで等身大な私に合わせたような衣装だった。

 上着は黄緑色の草原のようなシャツで襟だけ白くなっている。下は黒いロングスカートだった。これがあの赤い靴を一層際立たせている。

 衣装を作った巡とミカは過去を聞いた時に一緒にやっていけるかと心配になった瞬間もあったが、共に過ごしていると本当は全然悪い子じゃないと感じた。

 私は得意になってその場を回転してみた。すると扉がノックされミラーボール団長が現れた。

 この人は何故かわからないけど、男でも女でもない感じがする。全てを知っている老人のような、でも見るもの全てが初めてでワクワクしている子供のような不思議な笑顔でこちらをじっと見てくる。だから恥ずかしいけど嬉しいような変な気持ちが込み上げてくる。

「とっても似合ってるね!まるで最初からヨリのために用意されていたみたいに。そして、ごめん!悪いんだけど今すぐ動きやすい服装に着替えてくれない?」

ミラーボール団長は申し訳なさそうに顔の前で手を揃えた。

「ええー!?なんで!?」

今着替えたばかりなのに急に言われても困る。

「ヨリに仕事を教えたいんだ。」ミラーボール団長は歯を見せて笑った。

 


 団長に連れられてやってきたのは、大きなキッチンみたいな車両だ。流し台やオーブン、フライパンを乗せるコンロが置かれている。かなり広い台所といった感じだ。ここで何をするんだろう?皿洗いや残飯を捨てたりだろうか。

 すると、私と団長しかいなかった車両の扉が開いた。

 一瞬小さな子供か何か車椅子にでも乗ってるのかと思ったが、どちらでもない。現れたのは小人の人だった。サーカスだからかここには多少イレギュラーな特徴を持った団員がいる。

「おはようトム!」

ミラーボール団長はやってきた彼の目の高さまでしゃがんで手を振った。

 トムと呼ばれた彼はパッと見には金髪の少年みたいにみえる。ただ黒いジャケットに深々と手を突っ込んでいる様子から、もしかしたらもっと年齢が上なのかもしれないと感じた。

 トムは不機嫌そうな表情を変えないまま、団長を睨んでいる。と、私の方をちらっと見て口を開いた。

「こいつに仕事を教えればいいんだな?」

予想以上に低い声だったため少し驚いてしまった。団長は慣れてるように微笑して、

「そうだよ。ほらヨリ、挨拶して!!」

急に指されて慌てて自己紹介する。

「あ!はい?弥栄ヨリです!すみません!!」

トムさんはじろっと私を睨んだ。何か気に入らないことでもあるのか、眉間に皺を寄せる。私は初対面ですぐこの人は怖そうだと思ってしまった。

「言っとくが、俺の見た目について何か言おうもんなら、どうなるかわかってんだろうな…?」

ドスの効いた声でそんな風に言われるとどうしてもすくみ上がってしまう。

 トムさんはすたすたと私の後ろの冷蔵庫を椅子を台にして開いた。中から赤やオレンジの液体が入った瓶を出すと割らないように流し台の空いたスペースに置く。

 トムさんは私の方を見上げると、(失礼だが本当に見上げるような動作だったのだ)こう言った。

「最初のお前の仕事はアイスキャンディーを作ることだ。」

「え?ア、アイス?なんで?」

「つべこべ言うな。やり方を教えるからちゃんと見てろ。」

そう言うとトムさんは冷凍庫の一番下のボックスを開けて、彼の手の倍はあるアイスキャンディーの型を取り出した。

 そしてまた椅子に乗ると冷蔵庫から出したジュースを型に流し込んだ。

「いいか、ジュースに型を流して棒を刺す。これだけだ。俺は一回棒でかき混ぜるがな。やってみな。」

私は言われた通りに恐る恐るやってみた。しかしジュースが必要以上に溢れ出してしまったり、棒が上手く中心にたたなかったりして思った以上に難しく感じた。

 トムさんはまるで初めてこんなやつを見たような表情をして静かに口を開いた。

「……お前、まさか、不器用か?」

「うう、そうなんです…。」

情け無くてたまらないが答えた。

 トムさんは大きくため息を吐くとこう言った。

「ダメだな、ここにいる人間としては全然ダメだ。」

私は少しイラっとした。突然望んでも無いのにこんなサーカスに入って好きなこと以外のことをやれと言われる。しかも給料があるのかもわからないのに。私は好きなことだけしていたいんであって、アイスキャンディーなんか作りたくないんだ。でも好きなことだって本格的にちゃんと習ったわけじゃないなら、それを職業にすることなんてできないかもしれない。それじゃあやっぱり私は何もできない社会不適合者なんだろうか。

ミラーボール団長は冷蔵庫の中のものをつまみ食いしながら笑ってこちらを見ている。こういう時、社会の理不尽さを感じる。嫌いな人となんてできるだけ話さないでいたいのに。私はすぐに2人のことが嫌いになってしまった。すると、

「それでも忘れないで欲しいんだよ。"ボクはキミを愛している"、だよ。」

団長は急に真面目な顔をして私を見た。いきなり言われたら反応に困る言葉だ。

「な、なんですか?それ。」

「なんでもなーい。アイスできたら呼んでね!」

ミラーボール団長はまたヘラヘラした表情になり台所車両を出て行った。

 


 その後もしばらく無言の作業が続いた。段々とコツを掴んで来たが、どうしても長く続けてるトムさんよりは綺麗な形にならない。トムさんはずっと仏頂面で葉巻を咥えているため、会話しづらい。

 大体2時間半ぐらい作業を続けていると、

「終わりだ。」

トムさんが言った。

「あ、ああ、はい、お疲れ様で…。」

「あんたそんなびくびくしてんじゃねーよ。アイスの形が崩れるだろうが。」

トムさんはそれだけ言うと、葉巻を咥えたまま部屋を出ていった。

 


やっぱり自分は駄目だな、と寄宿車両で落ち込んでいるとミカが私の顔を覗き込んできた。睫毛まで真っ白な瞳は吸い込まれそうな宝石のようで本当に天使のようだ。

「トムってあのアイス屋の小さいやつか?あいつの言うことなんて気にしちゃいけないぜ。」

「ちょっとそんなこと言っちゃ!!」

「いいんだよ。わざわざ配慮してあげようなんて思ってたらそっちこそ差別だし。思ったことそのまんま伝えてやった方があいつは気分いいんだよ。」

天使のような見た目からは想像がつかない喋り方や仕草だ。

「それにあいつはミラーボールが最初にスカウトした団員だからな。サーカスのことはよく知ってる。」

ミカは胡座をかいて頭を掻き上げている。

「そう、なんだ。」

 すると部屋にあった内線用の赤い昔ながらのレトロな電話が鳴った。飾りだと思っていたが実際に内線で使えるのだ。

 思わず出ると、

「ヨリちゃん?レッスンだって。」巡ちゃんからだった。

 案内されたレッスン上に行くと本当にここは列車の中なのかというような体育館ぐらいの広さだった。綱渡りの綱が天井にあり、曲芸用の器具もそこら中にある。

 この列車が走っているのはいつでもどこでもない場所だと聞いたが、車内も物理的な空間の概念を超えているのだろうか。

 こんなに広いのにしんとしていて誰もいない。とりあえずその辺のものを触ってみたりしていると、

「気になるもんがあったかい?」

それまで全く気配がなかったのに背後に誰か人が立っていた。慌てて振り向くと背の高い、ターバンを巻いてアラビア風の格好をした男性が立っていた。

 目はエメラルドのような色だ。

「ようこそ、ミラーボールサーカスへ。私はダンサーでヘビ使いのマージャ・フォッシーだ。長いからステージ名はマッシーと呼ばれるがな。」

マッシーはにやっと笑った。

「ところでキミは見ない顔だな?もしかして、弥栄ヨリ、かな?」

マッシーは腰だけを曲げて、本当にヘビのような動きで私の顔の高さにまで顔を近づけた。東洋の人の肌をしている。この列車は時間や空間を超えているから話す言葉も自分の言語と同じに聞こえるのだと団長から聞かされていた。

「は、はい、そうです。えっと、レッスンって聞いて来たんですけど…。」

「確かに。そしてそのレッスンを教えるのは私だそうだ。」

マッシーはそれだけ言うとくるりと向きを変えてその場で側転した。側転と言っても体操で見られる派手な動きではなく、まるで蛇が一回転したように音もたてず床を這ったような感じだ。すごい。どうやったんだ?

「今のは私の得意技だ。ところで、キミはどんなことができるのかな?」

マッシーが顔をこちらに向けて聞く。私にできることってなんだろう。学生の時まではただ好きな音楽をかけて感じるままに踊るのが好きだった。でもサーカスで魅せられるような派手な技や柔軟性のある動きができるわけではない。

 「いいや。今日はストレッチだけやろう。」

と言われつつストレッチを初めてみたら、散々だった。ただでさえそんなに柔らかいわけでもないのに、ずっと生活費を稼ぐために仕事をしていたから運動をする余裕がなかったのか全身がガチガチに固くなっていた。

 マッシーのようなプロと並ぶなんてとんでもない。目がぐるぐる回ってしまう。

「お、終わりにしよう。」

マッシーも愛想笑いになってる。

「ううう、ごめんなさい…。」

やっぱり私にできることなんて一つもないんだ。私は何者でもないんだから。部屋に戻る気力もなくて、色々な車両を彷徨っていると、木造の車両の椅子の上でミラーボール団長が伸び上がっていた。

「うえ〜ん、開かないよ〜。」

よく見ると手元にある瓶が開かないようだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 ミラーボール団長は上目遣いで私を見つけるとぱああっと顔を明るくした。

「ヨリ!!いーところに!この瓶、開けてくれる?」

そういって無理矢理私の手に瓶を渡す。こういうのって確かタオルで開けると開きやすいんだよね。私は持っていたタオルで瓶の蓋を開けた。

 ミラーボール団長は目をキラキラ輝かせている。

「わああ!ありがとう!!キミは恩人だよ!!」

中身はジャムにつけたリンゴだった。私はちょっと団長を揶揄ってみたくなった。

「握力弱いんですか?」

団長は木のフォークで中身のリンゴを口に入れている。

「そうだよー。ボク運動神経悪いし。スポーツなんて全くできない。」

「ええーーー!?それでサーカスの団長なんてやってるんですか!?」

「声が大きいよ。キミ。まあ、頑張って取り組んでる人に対しては応援するけどね。」

全てを知っているような瞳で常に不敵な笑顔を称えたミラーボール団長に苦手なことがあるなんて。それもスポーツ全般ダメダメだとは。

「それでも踊ることは大好きだけどね。ボクの頭の中ではいつもたくさんの音楽が鳴り響いているんだ。」

なんていいながらニコニコして両肘を上下に上げている。この人はいつも明るい。「どうして…。」「ん?」

「どうして運動神経ないのにサーカスの団長をやってるんですか?私なんて誰にも認めてもらえない透明な存在で、何者でもないのに…。」いい終わらないうちに小さな人差し指が口元に当たる。銀河のような瞳が自分の瞳のすぐ近くまで来た。「ボクはボクだよ。キミはキミだ。」

なんでそんなことを言うのかわからない。目の前の相手は大人なのか子供なのか、男か女かもわからない。だから、ドキドキはしない。だけどすごく、神様に嘘をついてるような罪悪感がした。

「座ろうか。」

団長は客席の向かいに私を座らせた。瓶の中のリンゴを食べるように促して手品でフォークを二つに増やしてみせた。

「ボクにできないことなんていっぱいあるよ。スポーツ以外にも。料理。テレビゲーム。それから、時間の無駄としか思えない雑務。ボクはボクが興味あることに関係ないこと以外取り組みたくないもんね。」

私はまたまたびっくりした。サーカスの団長ってもっと、サーカスのオペレーションは全部できるものじゃないのかな?

「興味あることだけをやってきたんですか?」

「そうだよ。確かに傍目には興味無さそうなことでもやらなきゃ行けなかったことはある。そういうとき、なんでそれに取り組めたかわかる?」

「わかんないです。」

「それはね、愛するものがたくさんあったからだよ。」

「愛するもの、ですか。」

「最初は好きなことと関係ないと感じるものでもそれが前から愛していたものと繋がる要素があったり、似ていると思う部分があったら、くだらないと思っていた作業も途端に特別な作業になってしまうんだ。そしてそれが全ての瞬間に存在していることがわかってしまったら、ボクはもう仕事を愛せずにはいられなくなるのさ。単純な作業一つ一つがかけがえのない思い出になっていく。そしてその瞬間の煌めきこそが幸福なんだって思い出せるんだ。」

ミラーボール団長は話し終えると席の横にある窓を開けた。するとなんと窓の向こうには輝くような天体が広がっていたのだ。宝石を散りばめたような恒星たちが瞬きも許さないぐらいに照り輝いている。

「わあああっ!すっごーーい!!」

思わずいつもよりも大きな声が出てしまう。私の声は虚空に響いて返す者はない。だけどその声は果てしなくどこまでも響いていくようだった。「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカンパネルラもこんな景色を見たのだろうか。

 団長は頬杖をついてうっとりと景色を眺めている。

「初めてこの景色を見たらみんないつも似たような反応をするよ。」

今までちゃんと意識したことなかったが、これは銀河のサーカス列車なのだ。ミラーボール団長は立ち上がった。

「それじゃあボクはここで行かなきゃ。もう少し景色を見ていたかったら、どうぞ。」

そして自分だけの専用車両に戻ろうとしたが、ふと立ち止まると振り返って言った。

「自分は何者でもないって言ったね?じゃあ、誰でも何にでもなれる場所へ行こうか。」

そう言って団長が出ていくと、自動ドアは閉まった。

 次の日、時間の概念がないので次の日と言っていいかわからないが、充分眠ってレッスン場へ行くとマッシーと5人のピエロがいた。

「振付が予め決まっていた方がキミは踊りやすいのかもしれないね。ということでピエロ達とちょっとした演目を用意しておいたんだ。」

マッシーは話し終えるとピエロ達を紹介した。

 ピンク色のジャケットにピンク色の髪のピエロがハッピー。赤と青の衣装にうさぎの耳を頭につけたのがラビット。片眼鏡をつけ、ネクタイをつけたのがフューチャー。ポップな軍服風の衣装がクリスマス。緑の髪に縞々のズボンと大きな靴を履いたのがカーニバル。なんともお花畑な名前だ。

 マッシーはピエロ達のフォーメーションの真ん中に私を置いて振付を教え始めた。複雑な動きに苦戦してしまう。

「顔が怖い!ハッピーハッピーハッピースマイル!!」

「ラブ&ピースだ!平和に行こう!」

「楽しいことを考えてごらん!レーッツシンク!!」

ピエロ達が口々に能天気なことを言って励ましてくる。そんなこと言われてもわからないものはわからないよー!!

 無数に本が並ぶ自室の本棚をサーカスの団長は上から下までじっくりと眺めていた。そして一冊の本を手に取ると自分の机、丁度列車の前方部分にあたる場所へ歩き始めた。

「それじゃあ、世界存続計画を始めようか。」

団長が手にした本の表紙には耳の大きな狐、フェネックが描かれている。団長は自分の机の前にかかっていたカーテンを開く。するとそこには何も書かれていないドアに本が一冊ぴったり入りそうな空き枠があった。団長は空き枠に本を差し込む。ドアには緑色の蛇の紋様が現れた。

 列車の外面、前方の顔部分にあたる大きなミラーボールがガラガラと輪り、赤い鳥の姿が写し出された。
 

 

爬虫類の夢

これはきっと簡単な話だったのだ。

 終わりのない世界に生きるオレ達はそのまま進化して進化して進化して、それぞれの生命を統べる「モノ」となった。
 わかりやすいように、ここでは「モンスター」とでも呼んでおこうか。
 オレは全ての爬虫類を複合したモンスターだった。だから見た目は大きな蛇に何本も足がついたような姿だ。
 オレには誰にも真似できない技があった。カメレオンみたいに体の色を変えてあるものをないように見せたり、ないものをあるように見せられる。更にはオレが望んだものを透明にすることができた。同じモンスター同士はできないが、例えば人間の心に入り込めば人間を透明にすることだってできる。
 人間はオレ達よりも弱かったからな。おっと、これはお前たちが想像するような領域の話じゃないぜ。人間が人間ではないモノたちに守られて平和に生きていた世界があったんだよ。
 ところがその頃のオレはオレの技が好きじゃなかった。気が弱かったからな。こんな技なんの役にも立たない。いつも自分の姿を透明にして他の奴らに笑われないよう隠れていた。
 本当は光の当たるところに行って、みんなで美味いものを食べたり歌ったり笑いあったりしてみたかった。だけどいつもあと一歩を踏み出す勇気が出なかったんだ。
 オレ達が住む楽園の丘には一本の木が立っていて赤い実がなっていた。それは何年も昔から枯れることなくそのままだという。これこそがこの世界を維持しているという噂もあった。
 ある日オレは近くで見てみようと姿を透明にして木の下まで行ってみた。そして、ヤツに出会ったんだ。
 そいつは一つ目のモンスターだった。高い丘から全てを見渡すようにそいつは立っていてどういうわけか、オレの存在に気がついたんだ。
「キミは誰?」
まさかオレの姿が見えるなんて思ってなかった。
 そいつは「全てを見通す目」のモンスターだったんだ。オレはそいつに話かけてみた。喋ってみて、こいつとは絶対親友になれると思った。
 名前を聞くとそいつはEYEだと言った。EYE、アイか。EYEはオレが足元の花を透明にしてみせると驚いた。そして、
「すごい技だよ!使わなきゃ!!」

 オレは自分の技が好きになった。

 この日からオレはみんなと同じように表に出てくるようになった。体の色を変えたり、ものを透明にしてみせると他のヤツらもびっくりしたり楽しんでくれたのでオレも気分がよかった。EYEも喜んでくれた。
 だがそんな日々にヤプーが現れることになる。
 ヤプーはオレよりも更に大きな体で全身毛で覆われ、頭に角が生えている。とても力が強いだけでなく、付き合いもよく優しくて親しみやすい性格のため人間たちからは神だとも呼ばれていた。
 ヤプーはすぐにみんなの人気者になった。特にEYEとは段々名コンビになっていき2人が揃えば無敵とまで言われるほどだった。
 オレも最初は一緒になって笑っていたが、段々面白くなくなってきた。なんだよ、EYEは前はオレのことを見ていたのに。その時心に何か黒い霧のようなものがかかったような気がした。
 
 オレは風を受けるのが好きだった。風向きが変わりこちらに向かって吹いてくるのが好きだった。風を受けて丘の木の下に立っている時だけは世界で自分1人だけのためにこの世の美しい香りや音が自分に入り込んで来るような感じがした。
 だけど、最近はその中にEYEがヤプーと楽しそうに笑ったり話している声が混ざっている。それを聞くたびにオレの心の霧は濃くなっていった。
 
 ある日モンスター達が集まって話し合いをすることになった。人間という存在についてだ。
 人間はオレ達よりも弱い。だからモンスター達が少し人間を守っているという意識がオレ達にはあった。
 オレは純粋に人間にはまだ守るべき存在が必要だと考えていた。だから、
「人間はまだ何をするにしても自分達で運命を決定できないんじゃないの。だから今よりももっと強く管理してやった方がいい。」
するとヤプーが口を開いた。
「いいや、人間は自分達で思考して自分達で運命を変えていくことができる。だからオレ達が何かしてやらなくたって人間も平等に仲良くやっていくべきだ。」
別にヤプーが間違ったことを言ってるわけじゃないが、ここ最近心の中の霧が重くなっていたオレは無性に腹が立った。会議をまとめていたEYEはどちらが正しいか考えているようだった。
 EYEは手をパンパンと2回打つと、
「じゃあどっちがいいか選挙をしよう。」とだけいった。
 選挙の日、オレは丘の上に立って風を全て受けるように息を吸い込んだ。オレはオレの意見が正しいか間違っているかなんてことが重要だったんじゃない。ただ前みたいにEYEと仲良く笑い合えるようになりたかっただけだったんだ。
 ヤプーに勝てばまた前みたいにEYEや他のヤツらに認めてもらえると思った。
 張り切った思いで投票の結果を待つ。
 結果は、
 ヤプーの票の方が多かった。
 EYEはヤプーに「さすがお前だよ!」とかなんとか言ってハイタッチをしていた。
 オレは考えがまとまらなかった。みんなヤプーに駆け寄り、胴上げしたりしてオレには近寄っても来ない。オレは透明に透明に透明になって誰にも見えないようにして広場から離れていった。
 何が駄目だった?やっぱりオレみたいなやつは誰かと仲良くなろうなんて思っちゃいけないのだろうか。こんな世界、終わりがないままずっと続いていてもオレはちっとも幸せじゃない。
 他の奴らの幸せのために誰かの幸せは潰される世界なら、オレはいらないと思った。
 こんな世界、オレはいらない。
 心の中の霧が重く深くなってどす黒くなっていくのがわかった。
 その夜オレは丘の上の実を口にしてみようと思った。本当にこの実が世界を維持しているなら食べたらどうなるだろうと思った。オレは物音一つ立てずにするすると木を登ると赤く光る実を一つ手にとった。

 口の中に果実の味が広がると同時に知恵の実であるそれはオレに全てを見せてくれた。
 この世界は宇宙の鳥が作った鏡の中の楽園だった。オレ達モンスターに終わりはない、もしくは長く生きるのに対して他の生命がこの実を食べれば、モンスター以外の生命には死が訪れるようになる。
 そういえばヤプーやEYEは人間が進化した果ての人間を統べるモンスターだった。なら、この世界の始まりに立ち合って人間の進化を止めて仕舞えば、あいつらの存在はなかったことになるだろうか。
 オレは果実をもう一口齧り、願った。
 「この世界の始まりに連れていけ。」

 

 気がつくと、空は明るくなっていて、木の下には2人の人間の男女がいた。オレはなんと小さな蛇の姿になっていた。
 蛇なんてオレの進化する前の1番初めじゃないか。もう遠い昔、オレは何も知らない小さな蛇だったな。と考えていたが、もしかしたらこれはあの実に時間を戻すことを願ったからだろうか?
 オレはゆっくりと男女の間にやってくると実を食べるように伝えた。これは知恵の実だ。全ての知恵が手に入る。確かそんな感じのことだ。
 人間はオレの言う通りにした。

 そこから先は、「歴史」の通りだ。
 オレはEYEが使わなきゃと言っていた技を存分に使うことにした。ないものをあるものに、あるものをないことにした。
 角が生えているモノ、体中毛だらけのモノは獣で悪いやつだと言えば人間は都合良く解釈してくれる。神を崇めるという理由で封印する方法を教えたらその通りの建物をあちこちに作り出した。
 オレはオレとそっくりな遺伝子を何人かの人間に入れておいた。そいつらが常に歴史の勝者になるように教え込んでやった。
 もう一つ、オレが使った技は何者でもなくなったやつらを透明にすることだ。特に負の感情は人間を透明にする強いエネルギーになる。嫉妬、恐怖、憎しみ、悲しみといった感情を持つ人間の心にできた隙間には簡単に入り込める。エネルギーをオレが増大してやればその人間はもはや何者でもなくなり透明になり、ガラスの破片のように粉々になっていく。これを集めて鏡にするのだ。こうして鏡は真実の反対を映すものになった。あまりにも鏡がたくさんできていくから、何層にもたくさんの世界ができた。
 世界と世界を反射する鏡はいつしか「月」と呼ばれた。オレが作った鏡を真似て人間達が自分の姿を見るための鏡を発明したが、中には透明になったヤツらの欠片でできた鏡を手にしてしまう人間もいた。
 鏡よ鏡、と唱えて透明になったヤツの魂を呼び起こし自分の美しさを問う者。こいつによってほとんど全ての悪人は鏡から魔力を得るようになった。
 魔力によって鏡の中にはモンスターが潜むようになった。子供たちのイマジネーションがモンスターを鏡に実体化する。大抵はすぐ見えなくなるのだが、たまにモンスターが見える子供もいる。
 オレはそんなガキ共の寿命を縮めたりしていたが、更にそんなガキの家族が妹の生存を維持するための戦いを始めたりするようになった。とにかく一部の人間の中では鏡は不思議な力を持つものの象徴だった。
 世界が何層にも重なった概念を図式化すると一つの目が現れる。まるでEYEの瞳のように。
 だからオレの遺伝子が入ったヤツらは一つ目や爬虫類を象徴にした信仰を持ち始めた。ヤツらが勝手に人類が進化するのを止めようとしてくれる。遺伝子の発展を止めて、機械や魔法を巧妙に使って何も知らない人間に夢を見せる。
 大衆は何が嘘で何が本当かわからなくなる。そうして知らない間に機械で管理されることにも慣れてしまった。ここまでの技術はもはや魔法ではなく呪術と言ってしまっても良かった。
 とにかくオレが始めたことで人間の歴史は発展したとも言える。人類を管理する機械はAIと呼ばれ、そいつはEYEの瞳のように人間の全てを見通していた。
 
 悪気はないのかって?確かに良くないことだって自覚した時もあったさ。だけどオレが始めたことはともかく人間の歴史を作ったのは人間だ。ある意味自分達の運命を自分達で決められるというのも嘘じゃないのかもな。オレがちょっと管理してやった部分はあるが。
 この後人類がどうなるかなんてオレも知らない。ここまで来たらオレにも止めらなくなってしまったよ。それでもオレが始めたことは人間にもよくある、ただ友達が欲しいというような簡単な理由だった。全ての始まりはそんな簡単なことを素直に伝えることができなかったオレの心によぎった黒い霧だったんだよな。

巡る天使の輪の中で

巡 -JUN-

 


絶対に消せないものって何だかわかる?ワタシにとってそれは関係性だと思う。

 あの人とあの人が友達だった。あの子はあの人を好きだった。そういったことっていくら本人達が無かったことにしたくても誰かが覚えていればその人達の関係性っていうのは、未来永劫絶対に残され続けるのよネ。

 だからワタシにとってこの話は私とじゅんちゃんという人のことを覚えてくれればそれでいいワ。今のワタシの名前、巡とは違う人ヨ。ワタシはじゅんちゃんが好きだった。それは紛れもない事実。このことを前提にワタシの運命の日の話をするわ。

 


 中学校が終わるとワタシはいつもじゅんちゃんの家に行ったノ。じゅんちゃんはサッカー部を頑張っていてギターが弾けるワタシの一つ上の学年だったワ。

 ワタシが小学校4年生の頃、ワタシの両親は離婚して母はいつも帰りが遅い。だからワタシはじゅんちゃんを部活中目で追って、写真を撮ったりノートに記録をしてから彼の家へ行くの。え?マネージャーだったのかって?いいえ。マネージャーなんてやってたらじゅんちゃんだけを目で追えないじゃない。

 ワタシがじゅんちゃんを好きだったのは、じゅんちゃんは覚えていないだろうけど小学校の時いじめられていたところを止めてくれたから。

 その日からワタシはずっとじゅんちゃんの家に行ってる。家の中にワタシの父が趣味でいくつも持っていたビデオカメラや盗聴器なんかを仕掛けるの。父の部屋にこっそり出入りして本なんかを見ていたからワタシは絶対にバレない方法を知っているノ。

 それからじゅんちゃんの家のゴミ袋は全部ワタシが持っておいてる。そこからレシートを取り出してじゅんちゃんが買ったもの、好きなものとかを研究してまとめておく。場合によってはワタシも同じものを買うワ。

 使ってるシャンプーだとか、歯磨き粉だとか。

 あとはじゅんちゃんが使ってる携帯の履歴ね。契約してる会社に声を変えて彼の担当だとかなんとか言って、パスワードなんかを教えてもらうの。大抵の人は馬鹿だからすぐに教えてくれちゃうのよネ。ワタシは絶対にバレない特別な方法を知ってるから、そんな中で得た情報をパソコンに繋げば、いつでもじゅんちゃんのことがわかるようになっちゃうノ。

 友達なんかいたらワタシのそんな特別な時間が無くなっちゃうワ。みんなワタシがこんな髪だからか、それとも小学校の時に学費や給食費が払えなかったりしたからか近寄ってこないもの。だからいじめられていたワタシを救済してくれたじゅんちゃんはワタシの運命の人だってこと。

 

 そんな平和な日常がずっと続くと信じていた。

 関係性の枝葉に鬱陶しい芽が出るまでは。

 その芽の名前なんて口にしたくもないワ。仮にここではGとしておこうか。あの誰からも嫌われる虫のようにね。

 Gは一つ上の学年に転校してきた人でワタシよりはそんなに可愛くもないんだけど、男子はなぜかみんなGは綺麗って言っていた。要領が良くてスポーツはなんでもできるし、成績も良いし、音楽が好きで音楽が趣味な男子はみんなGと話していたワ。

 なんだかよくわからないロックバンドだったんだけど。

 ワタシは幼い頃、父と一緒にクラシックや遠い国の民謡なんて聴いてたから、よくわからない。今はまあ他にも聴けるけど、Gが好きなバンドは全く良いと思わなかったワ。

 Gはじゅんちゃんとすぐ仲良くなったノ。隣の席だったみたいで。それで好きな音楽が似てて、文化祭で一緒にバンドをやることになったのよ。ワタシが通っていた学校の文化祭では3年生は強制的に全員何か出し物をすることになっていたから。

 文化祭当日、ワタシもその発表を見てた。Gはボーカルだったけど、全然うまくなくて狙った変なアニメ声だし音程もじゅんちゃんのギターと全く合ってなくて聴いてるこっちが恥ずかしくなっちゃった。

 でも他の人達からしたらあの歌が学校で一番上手いみたい。それだけならまだ許してあげても良かったんだけど、もっと許せないことが起きた。

 その日ワタシは文化祭の後片付けが全て終わって、校門から出てくるじゅんちゃんを待っていた。活躍したばかりで疲れているだろうから、ワタシが癒してあげないとって手作りのクッキーを持って待ってたノ。運命があのまま邪魔されずに正しく存在していたら、ワタシは告白して結ばれるはずだったのに、校舎から出てきたじゅんちゃんの隣には誰かがいて楽しそうに話していた。

 それはGだった。2人は手を絡め合って楽しそうな恥ずかしいような表情をして校舎からは「おめでとう!」なんて声が聞こえてきた。

 ワタシには信じられない。だってワタシ達が一緒になることは運命で決まっているんだから。そんなことあるわけない。

 計画は完全に正しくなくちゃ。軌道がどこかで間違えているなら正しい軌道に戻してあげないト。ワタシは予定を変更して、(それも正しい予定にするために)真っ直ぐに家へ向かった。月がとても明るくて綺麗な夜だったワ。

 ワタシが準備したのは大量の世界中から集められたナイフ。なんでそんなものがあるかって?父の趣味だって言ったでしょ。幼い頃、まだ父が一緒に住んでいた頃、父はあらゆるナイフの使い方をワタシに教えてくれた。

 それがこんな形で役に立つなんてネ。

 ワタシは見た分にはまるでそんなもの持ち合わせていないように大量のナイフを衣服に忍ばせて、じゅんちゃんの家に向かった。確か今日はじゅんちゃんの家族はPTAの打ち上げあるとかで家に帰るのが遅いはず。

 そっと窓の外を覗くと、ああ、本当に見たくも無かったんだけど、あの女がじゅんちゃんの部屋で楽しそうに話していた。本当なら今頃そこにいるのはワタシだったのに。

 ワタシは手も足も震えて全身が冷たくなっていくのを堪えてタイミングを見計らった。ここっていう瞬間が来れば計画は実行できる。どれくらい時間が経ったのか、じゅんちゃんが立ち上がり飲み物を取ってくると言って部屋を出た。

 今だ。じゅんちゃんの部屋は台所から離れてるから、少しの間なら音は聞こえないハズ。ワタシはナイフの中の一つを窓ガラスに向けて奮った。

 ガシャーーーン。

 ガラスをは部屋の地面に落下した。Gは一瞬何が起きたのかわからない表情をして、でもワタシが着ている制服が同じだったため、同じ学校の人間だとわかったみたいだった。

 


「……だ、誰、なの?」

「あなたさえいなければ今頃ここにいたのはワタシだったのに。」

「え?なんのこ…。」

 


ビュッ。さくっ。どさっ。

 Gが喋り終わる前にワタシのナイフが光よりも速くGの頸静脈を貫いた。Gは命ではなくなっていた。 

 そんな怯えた顔しないで、これは運命の日の話だって言ったじゃない。

 ワタシは部屋の電気を消してGだったものを窓の外に出そうとした。月光が明るく部屋の中を照らしていた。

 すると、ガチャっと部屋を開ける音が聞こえた。

「大丈夫?なんかすごい音が聞こえたけど…。」

飲み物が入ったカップを二つ持ったじゅんちゃんとワタシの目が合った。

「…え。」

「じゅんちゃん、今日は月が綺麗だネ。知ってる?月が綺麗ってI LOVE YOU、あなたが好きですって意味なんだヨ?」

じゅんちゃんの手が震えて、今度はカップが地面に叩きつけられて割れる音が部屋に響いた。

 


「おい!!!!何やってるんだよ!!!何を!やってるんだよ!!」

じゅんちゃんがワタシを押し倒してワタシの首を強く強く締めようとした。ああ、そういう顔も素敵だよネ。本当は笑った顔が一番好きなんだけど、ずっとこのままでもいいかも。

そう思っていたが次の言葉でワタシの気持ちは変わってしまった。

「お前一つ下の××××だろ?なんなんだよ、マジでお前!お前みたいなガイジ気持ち悪いんだよ!!」

目の前にいる人って誰だっけ?って気がした。ワタシの好きなじゅんちゃんは誰にでも優しくて強くてかっこいい。そんな人。絶対にワタシに対しても差別なんてしない立派で素敵な人のはずなの。じゃあ、この人は?

 これはきっとじゅんちゃんに取り憑いたGの悪霊なんだ。だったらワタシが引き摺り出してあげないと。ワタシはスカートの裏にしまってあったナイフを取り出して「そいつ」に向かって何遍も何遍も奮い落とした。

 ゴチッ。ミチッ。

 色々な音がして紅い血液が顔に飛び散った。「そいつ」が動かなくなってワタシは最後に傷つけないように残しておいたじゅんちゃんの綺麗な顔だけを眺めていた。口元から赤い赤い血を流して眠ったような顔をしている。

 月が綺麗な夜だった。床に散らばったガラス片が照らされて飴色に光っている。じゅんちゃん。好き。好き。大好き。ワタシは樹液を啜る蟲のようにじゅんちゃんの口から流れる血を吸い続けた。

 どれくらい時間が経ったのだろう。いつしかワタシはじゅんちゃんの血を取り込んでじゅんちゃんそのものになっている気がした。何度巡り巡ってもワタシはあなたを好きになる。だから、来世でもまた会おうね。

 そう思って自分の喉にもナイフを突き刺そうとした時、あの綺麗な月から列車がやってきたノ。

 列車はじゅんちゃんの家の庭に停まって、そして、中からあのミラーボール団長が現れたノ。

一瞬これは夢かと思ったワ。でも段々と色々な痛みが思い起こされて来たノ。ミラーボール団長は部屋全体を見てからこう言ったワ。

「キミは、××××だね?」

「いいえ、違うワ。」

ワタシは口元の血を拭って真っ直ぐいきなり現れたよくわからない人物を見て言った。

「ワタシは、巡。巡るって書いてじゅんって読むのヨ。」

ミラーボール団長はまるでわかっていた、みたいな笑い方をしたワ。

「その髪は…。ああ、キミの父親は世界の存亡をかけて戦う優秀な組織の一員だったのに、愛する娘に仕込んだ技術がこんなことに使われるなんて…。これもまた喜劇ってことかな?」

「パパはワタシを愛してなんかいなかったワ。世界の存亡よりも大事なものをわかっていない。それは、愛ヨ。本当にワタシを愛していたなら帰って来たハズだわ。だからワタシは愛を優先するノ。絶対にワタシの両親みたいになんてならないワ。」

当然のことを言ってるはずなのに頬を温かいものが伝った。

「キミの父はもしかしたら亡くなっていて帰れなかったんじゃない?キミの母はそれを教えずに段々お金もなくなっていき…。」

「やめて。それはどこかの人殺しの中学生の話でしょ?ワタシは巡。だからワタシには関係ないワ。」

「じゃあ、巡はどうする?どうなりたい?」

ミラーボール団長は真っ直ぐワタシの目を見た。その時のワタシの目は月が涙に反射して瞳孔がハート型に見えたと後で団長から聞いた。逆にワタシは団長の目は銀河の天体を全て集めてその中の一番星のように光って見えた。いえ、あの人はいつでもそんな目をしてるワネ。

「ワタシは、出来るものなら本当の運命を愛したい。愛せるようになりたいワ。」

ワタシは言った。ミラーボール団長は外にも聞こえるぐらいの大笑いをした。不思議とそれは嘲っているようではなく嫌な気分がしなかった。

「じゃあ、キミの運命自体を乗り換えてみる?例えばキミが本当の愛がわかるまで、ボクのサーカス団を手伝ってくれるなら、キミをこの列車に乗せてもいいよ。」

団長は持っていたステッキで列車を指した。月に照らされて風に靡く白と虹色の髪。本当にワタシの運命が笑えちゃうぐらいワタシはその時じゅんちゃんよりも団長の方が美しいと感じてしまった。

「この列車はどこへ行くノ?」

「さあ?だけど、キミの新しい運命に。」

そう、これがワタシの運命の日ヨ。今はワタシはミラーボール団長のことを愛してる。でもそれは、恋じゃない。もっと深い部分で今はこの人のためにサーカスをすることだけが、ワタシの存在理由になっている。

 こんなワタシのこと、自分の頭で考えられないばかな子って思う?他人軸だって感じるのかしら?

 でも、生きていくにはどうしたって思考することになる。思考していくには思考に輪郭を持たせる強い軸が必要。でしょ?だったらその強い軸自体は愛せるところまで愛してみたいじゃない?

 

ミカ・ハーゲン-天使が堕ちた日-

 


アタシは、産まれた時から天使だった。美しかったとかそういうわけじゃないさ。最初からこの見た目。そして産声が凄く綺麗だったらしいぜ。

 物心ついた時にはアタシは大聖堂でオペラを歌っていた。いや、歌わされていた。

 この見た目にこの歌声。街のやつらはアタシが本当に天国から舞い降りて来たってこぞって話していた。

 アタシもそれで満足だった。「学校」ってもんに行くまではな。学校の中で何人かの同学年のやつらがアタシはずるいやり方をして教会に取り合ってもらって歌を歌ってるんだろうと言ってきた。

 アタシは気に食わないからそいつの顔を思い切り引っ掻いてやった。そうしたら学校中大問題で校長は両親を呼び出すし、アタシはなんで怒られて両親がなんで謝ってるのか分からなかった。それが悪いことだなんて教えられて来なかったんだから。

 それが一番最初に怒られた日。

 そのあとも変な噂を立てたり、犬をいじめるやつを見かけたら殴ったり髪を引っ張ってやった。だって「人をいじめるのはいけないこと」だもんな。

 でもなんでか知らないけどいつも怒られるのはアタシだけだった。ある時母さんが言った。

「ミカは天使だったはずでしょ?一体どこに悪魔がいるの?」

両親はアタシを連れ出して街中の腕の良い悪魔祓いのもとを何度も通ったがアタシにとっては何も変わることがなかった。

 アタシは歌よりもハマることができた。服のデザイン。歌はただ楽譜をそのまま詠みあげるだけだけど、服は何も無い状態から何かを生み出せる。中でもアタシは鎖やダメージ加工を敢えて加えたりするのが大好きだった。父さんと母さんや学校のやつらは悪魔の服だなんて言ってたけど。

 アタシが20代になった頃、もはや周囲のやつらはアタシに対して諦めてるようだったしアタシもそれで構わないと思っていた。歌もある時から急にやめていた。

 その日もアタシはスケッチブックに思いつく限りのデザイン画を書いて稼ぎ先からの帰り道を歩いていた。すると、路地裏から凄く騒がしい音がしたんだ。すごく胸が高鳴って全身がシビれる感じがしてアタシは思わず音がする方へ足が動いていた。

 そこにいたのはよくわからない楽器を演奏している3人組の男たちだった。しかもびっくりしたのはアタシが普段イケてると思ってたような服装や髪型をしてたってことだ。特に真ん中で尖ったバイオリンみたいな弦楽器を持ってるヤツの髪型なんて中心だけ残して黄色とピンクにしててメッチャイケてた。

 やつらが演奏を終わってアタシに気づいてなかったみたいだからアタシは思わず飛び出して声をかけた。

「アンタら、今の曲はなんなんだ?その楽器は?その格好はなんだ!?」

いきなり出て来た白い女に食いつかれてやつらちょっと警戒してたみたいだった。でもすぐに真ん中なイカした髪のヤツが言ったんだ。

「これはパンクってジャンルの音楽だ。」

そして持ってる楽器を順番にギター、ベース、ドラムだと教えてくれた。そいつは自分のことをゲブと名乗って口数の少ない革のジャケットを着たベースがベラ、ちょっと太ったドラムのやつがパンだと紹介した。パンは薬の臭いがして目つきも朦朧としてたが悪いやつじゃないってすぐわかった。

「アンタたち、すごいな。アタシにもなんかさせてくれよ。」

ゲブはめんどくさそうな顔をして

「悪いけど、女にできそうな楽器はあんまりないな。」

「アタシには歌があるよ。」

そう言ってアタシは歌い出した。何年ぶりに歌っただろう。声に翼が生えて天にまで昇っていきそうだった。

 3人は驚いた顔をしたが、「すごい上手いのはわかるけどパンクではそんな歌い方は求めてないんだよ。天使さまは教会の番に戻りな。」とゲブに突き放された。

 その夜アタシはイライラして眠れなかった。絶対にあのイカした音楽をアタシのものにしてみせる。

 次の日からアタシは毎日ヤツらのもとへ通って歌った。ゲブが歌う時はヤツの歌い方を真似した。今まで興味が無かった雑誌やレコードを書い漁り、隅々まで研究した。

 そうしてある時あのがなるような叫び声と教会のオペラの歌い方を混ぜることをやってみた。これだ。アタシにしかない歌い方。

 すぐさまヤツらが演奏してる場所に行って許可もないが一緒に歌ってみる。するとヤツらは段々とちらほらこっちを見るようになった。通行人も足を止めて見入っている。

 3人の演奏にアタシの声が重なってなんかわかんないけど生まれて初めて自分がここにいて良いんだという気分がした。

 すると、

「お前ら、何やってる!!」

警察がやってきて演奏を止めようとした。アタシのいた世界、アタシのいた時間ではそういう音楽は存在しちゃいけないことになっていたのさ。

「逃げるぞ!!」ゲブがケースにギターを閉まって、ついでにアタシの手を引いて走りだした。警官はアタシと目が合った。長い間この街を見て来た警官だ。アタシのことも知っていただろう。かつて天使の歌声として毎日教会で歌っていた街で唯一のアルビノの子のことを。

 

 ゲブに聞いた話では彼らは元々この街の人間ではないらしい。3人とも両親が亡くなり共に生きていく中でこの街に辿り着いたという。彼らみたいなガキ共がたくさんいるのに、それには見向きもせずおいしい思いをしている大人たちがたくさんいたと言っていた。

「オレたちは音楽でこの狂った世の中に訴えてやってるんだ。」

その考えは最高に馬鹿みたいだったけど、最高に気に入ってしまった。

 こうしてアタシ達は一緒に活動することになった。バンド名は「Circle Eden」。

 1日の終わり、それぞれの仕事が終わるとどこかに集まってライブをする。噴水の前。階段。アタシ達の味方をしてくれる店まで現れてそういった店で演奏することもあった。アタシは歌だけじゃなくて、メンバーの衣装を考えたり時には歌詞や曲を作ったり、色々やった。

 そういった活動をしていると、ある時ゲブが言った。

「オレたちの曲を売り出さないかって話がある。」

「いいじゃん!これで世界中に聞いてもらえるね!!」

でもゲブはあまり嬉しそうじゃなかった。

「でもよ、本当にそれでいいのかな。今まで通りみんなで楽しくライブやってるだけじゃ駄目なのかな。」

なんでさ。アタシには納得できなかった。狂った世の中に訴えてやるってのも所詮はおとぎ話だったのかよ。

 なんとも言えない気持ちになって家に着くと珍しく両親が居間にいた。普段はアタシに声もかけないのに、父さんが口を開いた。

「お前、最近ずっとゴロツキ共と悪魔の音楽をやってるみたいだな。」

「は?悪魔の音楽じゃないし。それにアイツらはゴロツキでもないよ。」

父さんはため息を長く吐き出して呟いた。

「まあいい。こちらにもそれなりに準備がある。」

なんのことを言ってるのか全然わからなくてアタシは部屋に戻った。

 

 

 

 しばらく経ったある夜のこと街中が騒がしかった。どうやら強く教会を信じている者と抵抗する若者達の間で抗争があったみたいだ。あれ以来アタシはずっとゲブ達にも会ってなければ両親とも話していなかった。

 たまには顔を出そうかな、とバンドのやつらが集まっている場所へ行くとそこはひどく荒らされていて、誰もいなかった。急に嫌な予感がして広場へ行くとあちこち火事になっていたり倒れている人から警官に取り押さえられているやつまで色々いた。

 アタシが知ってる顔もいくつかあったが両親とバンドのやつらがいなかった。すると何度かライブを観に来てくれていた孤児の少年がアタシに駆け寄ってきてこう告げた。

「大変だ!キミのお父さんが教会でベラとパンとやり合ってるんだ!!」

 


アタシは走って教会まで言った。月が赤い夜でステンドグラスに反射してこう言っちゃ悪いが、地獄の絵みたいに見えた。

 勢いよく扉を開けると父さんが拳銃を持って佇んでいて、ベラとパンは頭から血を流して倒れ込んでいた。

父さんはゆっくりとこちらを振り向いた。

「ああ、ミカか。ずっと探していたんだよ。」

「父さんが…やったのか?」

「お前を悪魔から取り返すにはこうするしかなかったんだ。もう一度天使だったお前に戻っておくれ。」

「ふざけるな!!アタシは最初っから天使なんかじゃない!!友達がいなくなるならこんな世界もういらない!!」

父さんはそれを聞くと微笑んでゆっくりと近づいてきた。

「どうしてそんなことを言うんだい?まだ悪魔が取り憑いてるようだね。そうだ。その忌まわしい歌を歌う口から出してあげよう。」

そういうとステンドグラスに思い切り叩きつけられ、首を絞められた。足が床から浮かび、窒息しそうになる。

「一つ、ずっと黙っていたことがある。お前は私達の本当の子供ではないんだよ。あるところに天才の音楽家夫婦がいた。でも産まれた子供はアルビノだった。世間にバレたら危ういと感じた2人は使用人にその子を預けた。我々には関係ないと。でもその子は親と同じような才能を生まれながらに持っていた。金にしない手はないと使用人はその子を別の街で売り出した。だからミカ、お前にはずっと天使の歌だけを歌ってもらわないと困るんだよ。」

息ができなくて頭が回らなかったが、これだけはわかった。アタシは産まれた時から、何者でもなかったんだ。ただ金や世間体に目が眩んだ大人たちの人形だっただけでアタシでしかありえないものなんて持ち合わせていなかった。ステンドグラスに罅が入る。

 もうこのまま死んでもいいや、と考え始めていた時、ずどん。

 父さんが誰かから背後で撃たれ地面に倒れた。扉のところに銃を持って立つゲブがいた。ゲブがこちらに来ようとした時に更に、ずどん。今度はゲブが床に倒れた。

 噴水の前で目が合った警官が扉の向こうに立っていた。しかし警官はアタシは撃たなかった。そういえば、子供の頃あの人は教会の最前列でアタシの歌を聞いてたっけ。

 近くの火事の火が教会に燃え移るのも気にせず、アタシはゲブに駆け寄った。

「おい!ゲブ!!なんで…!」

ゲブは薄く目を開けてアタシを見た。

「…ミカ、お前には才能がある。天使の歌声なんかじゃない。その声はもはや神の慟哭だ。しかも服を0から作り出せる創造主だ。お前は、世界に出て、その才能をぶち撒けてくれよ。」

ゲブは動かなくなった。

 アタシのことを何者でもないと思ってないヤツもいたんだ。でもここからアタシはどうやって生きていけば良いのかわからなかった。扉は火で塞がれて出られそうにない。

 すると、どこからか別の声が聞こえた。

「あっれー?もしかして生き残ったのは1人だけ?まあいいか。元々興味があった1人が生きてるなら。」

教会のピアノの上にシルクハットを被った知らないやつ、そうさ、ミラーボールが座ってたんだよ。

「なんだお前!!どこから入って来た!?」

「どこからでも。ねえミカ、ボクのサーカスに入ってくれない?」

「どうして名前知ってるんだよ。それにサーカスってどういうことだ!?」

やつは自分がなんで驚かれてるのかわからない顔をして、

「うーん。本当はそっちの倒れてるゲブって子に売り出さないかって言ってみたんだけど、彼らが今日死ぬのは決まってたからなー。早めに列車に乗せてあげようとしたけど間に合わなかったよ。まあ最初から目的はキミだったんだけどね。

 もちろん彼らの演奏も悪くはなかったよ。でも列車の燃料になるぐらいのエネルギーを集められるのは間違いなくキミだから。」

ミラーボールはピアノの蓋を開けてsmileという曲を引き出した。炎は既にアタシの足元の近くまで来てる。

「それで、どうする?キミも死ぬの?」

ミラーボールは鍵盤だけを見て聞いている。

「最後に1曲歌わせてくれないか。」

アタシは思いきり息を吸い込むとカノンに出鱈目だが仲間との思い出を込めた歌詞をつけて歌った。

 するとどういうわけか。アタシの歌声の中にパンのドラムが、ベラのベースが、ゲブのギターが重なって聴こえるのだった。

「天使の歌声、か。まさしくそれがボクの求めてた天使の歌声だよ!!」

団長は立ち上がって拍手している。

「こんな声、ボクのサーカス団以外に売り渡しちゃダメだ。天使っていうのはね、みんな清廉潔白な美しいものだって信じてる。でもボクは本当に純粋な魂が狂った世界に産まれ落ちてしまったら、きっと純粋すぎて狡いことに目を潰れなくなってしまうと思うんだ。そうするとある程度大衆と呼吸を合わせやすくすることを知ってるやつらから異端だって思われてしまうんだ。だから天使は泥臭くなくちゃって、ボクは思うんだ。」

この歌声を使えばまだ歌の中にヤツらは生きてるってことか?アタシは目の前のシルクハットの男だか女だかわからないヤツに聞いた。

「なあ、お前のサーカス団に入るにはどうしたらいいんだ?」

シルクハットのヤツは懐から懐中時計を取り出し、更にアタシ達の足元まで来てる炎を見てから、言った。

「時間がない。今回は特別だ。あそこのステンドグラスに罅が入ってるね?あの向こうに列車があるって強くイメージして。」

アタシは言われた通りにしてみた。

「できたかな?じゃあボクの手を取って。行くよ!スリーツーワン!!」

後で思い出したがアタシ達はそのステンドグラスのこの世で最初の男女とされてるヤツらが手を伸ばす木の実の部分めがけて飛び込んだんだ。

 


 これが、アタシにとっての運命の日だ。アタシが歌うのはゲブ、ベラ、パンと言ったアタシの仲間だったヤツらの思念が与えたようなこの声を永遠に保つためだ。アタシが歌い続ける限り、ヤツらのことはずっと忘れない。

 ここにいる代わりに団員の衣装を作る仕事があったり、アタシのやることはたくさんあるぜ。ただ今はこれだけは言える。今のアタシは大人たちの利益のために使い捨てられる人形ではないってコトさ。
 

 

運命の靴

 その列車は車両ごとに様々な色をしていた。1両目は黒を基調としているが側面は赤い。大きな煙突が付いており、列車の1番前の突き出た筒状の部分はミラーボールでできていた。ミラーボールの真ん中にはよくわからないが赤い羽のシルエットが映っている。
 私はこの列車の主と思われる人物に続いて1両目に乗った。そこは電車というよりも部屋と呼んだ方が良いような空間だった。床も天井もカラフルな色をしていてサイケデリックだ。天井や床には数式や設計図が書いてある。壁には色々な国のお面や絵が掛かっている。すごく古い時代の人形からヒーローのフィギュア、まだ見たこともないロボットみたいなものまで飾られている。自分で演奏するのか部屋の中心にはシンセサイザーが置かれているし、テーブルには粘土で作ったミニチュアの街みたいなものが乗っている。
 棚にはたくさんの本やレコードが詰め込まれていて、よくわからない実験器具みたいなものまで乗っかっている。
 子供が書き殴ったような落書きから絵画のような絵まで飾られているが、「これ全部ボクが書いたんだ。1枚もらっていく?」と列車の主は口を開いた。
 「え、これ全部同じ人が?」
とても信じられない。列車の主は机からノートとペンを取って何かをメモしていた。
 そんなことより私をサーカス団に誘った経緯を説明してもらいたい。
 「それよりサーカスって何をしたらいいんですか?この列車はどこへ向かっているんですか?」
 列車の主は聞かれたことに驚いたように見えたがまた笑顔になると、「そうだね。話さなきゃ行けないことがたくさんあるようだ。」と言って机を間に椅子を差し出した。そして部屋の隅にある蓄音機にレコードをかけた。「smile」という有名な曲だ。
 本人は別の椅子を取り出すとそこに座った。机の横にはハート型の地球儀が置かれている。
 「まずこの列車がどこを走ってるかというと、宇宙だ。」  
いきなり壮大なことを言い出すので信じられなかった。
「宇宙?」
「うん。でもキミの世界で認識されているような宇宙じゃない。キミたちは宇宙を天体の浮遊する無限空間だと思っているけれどここはそうじゃない。ここは生命のイマジネーションの繋ぎ目の空間なんだ。ここはいつでもどこでもない場所なんだ。ボク達はこの繋ぎ目を通りながら別の世界や時間に移動している。ほんとうの幸福を集めるために。」
「それでどうして私をサーカス団に入れたんですか?」
「キミが何者でもなくなりそうだったからだよ。ボクのサーカス団に入るのは本当に何者でもなくなりそうになった者だけなんだ。そのぐらい狂ってなくちゃサーカスなんてできないからね。思い出してごらん、キミは何者だったことが今まであったかな?」
相手の言葉に少しムッとした。子供の頃は簡単に夢が叶うと信じていた。でも社会に出てみると自分は「弥栄さん」という記号の一つでしかない。正直子供の頃から大したことはしてないかもしれない。なんなら狂ってだっていないし。
「もちろん全部を救うことはボクにもできないんだ。でもあの時キミはお願いをしたじゃないか。ボクはそれを覚えていた。」
列車の主が言ってることはたまによくわからなくなる。私はいつ何をお願いしたんだろう。それに私をサーカスに入れたからと言って何をすれば良いのか。
 相手はこちらの心を読み取ったかのように言った。
 「ヨリ、キミにはこのサーカスの踊り子になってもらう。ちなみにいい忘れたけどボクはこのサーカスの団長だ。」
男なのか女なのかわからないその相手は自分のことを団長だと言った。
「踊り子…?でも私ダンスなんて習ったことないです。」
「でも子供の時からダンスが好きだった。だよね?」
団長は笑って言った。そうなのだ。本当は今でもチャンスがあるならバイト生活じゃなくてダンスの仕事がしたい。まだ間に合うだろうか。
「だからキミにプレゼントをあげようと思うんだ。次の車両に行こう。」
 団長はすくっと立ち上がる。バネみたいなハイヒールを履いていたためわからなかったが、もしかしてこの団長私とあまり背は変わらない?言葉にすると失礼だから黙っておくことにした。
「そういえば、まだあなたの名前知らないです。」
「ボクはボクだよ。」
「名前が無いってこと?」
「いつでもどこでもない場所にいるボクだからね。でもまあ、このサーカス団のみんなはボクのことをミラーボールと言うよ。」
 団長の部屋を自動ドアが開くとたちまち何人かの団員が現れた。小人症の人から体中ピアスだらけのまま動物を操っている人。体が繋がった双子に体中毛で覆われた人。
 ミラーボール団長はそれぞれに「おつかれ」とか「調子は?」等と挨拶して何やら奥の方の人物たちに手を振った。
 そこには緑色の髪をカールしたゴスロリの少女と一瞬天使かと思ったアルビノの私と同じくらいの年齢の人がいた。アルビノだがパンキッシュなファッションで白黒のファーのベストにダメージ加工のデニム、赤と黒で尖ったネイルをつけている。
 ミラーボール団長は2人の元へ向かうと私を紹介した。
「2人とも、こちらは今日からキミたちと同じ部屋になる弥栄ヨリだよ。ヨリ、こっちのロリータがナイフ投げの巡(じゅん)。巡るって書いてじゅんって読むんだ。こっちの髪が白い方が天使の歌声を持つ、ミカ・ハーゲンだ。」
「その天使の歌声ってのやめてくれる?それにアタシの専門は衣装製作だ。」綺麗な見た目とは反対にミカは強気な口調で続けた。
 「2人は出演者と掛け持ちで衣装作りも担当しているんだ。」
「それよりも次の世界にはまだ着かないノ?早く次の公演が決まらないとまたナイフ振り回したくなっちゃって今度は団長の心臓をひと突きにしちゃうかもしれないヨ?」
巡がとろーっとしてまるで薬かアルコールの依存患者みたいな喋り方で団長に近づいて来た。
「あはは。この前は脳天に突き刺さっちゃったもんね。翌日にはすぐにお花に変わっちゃったわけだけど。」
わけのわからない会話をしながら帽子を脱いで頭を掻くミラーボール団長の頭部には何も変わったところはない。
 差別感情は良くないのはわかっているが、差別とかではなくこの列車の中にいる者達は少しずつあべこべな感じがした。
「ヨリはこれから踊り子として活動していくから是非2人に衣装を作ってもらいたいんだ。」
「いいよ、最近は新しいメンバーもなくて退屈してたんだ。」
「これでまた公演ができるってことでいいのよネ?」
巡とミカは楽しそうに話す。
「ところで、靴はこっちでプレゼントするよ。」
ミラーボール団長が言った。
「例えば、キミが派手に割ったワイングラス。」
団長がステッキを一振りするといつのまにか床に私が割ったワイングラスと同じようなガラスの破片が散らばっていた。
「そこに禁断の果実を一つ落としてみよう。」
どこから取り出したのか真っ赤なりんごを一つ散らばったガラスの破片に向けて落とした。その間はひどくスローモーションに見えた。
 するとどういうことだろう。ガラスの破片は水面のようにりんごを飲み込んだ。破片が集まりそこには2足の赤いヒール靴が現れた。
「禁断の果実からできた赤いガラスの靴か。」
ミラーボールは呟くと屈んで靴を手に取り、私の方を向いて差し出した。「履いてごらん。」
履いてみるとそれは元からまるで私の足の1部だったかのように吸い付いた。
「赤い靴を履いた者は永遠に踊り続けられる。だけどガラスの靴は12時の鐘が鳴ったら脱げてしまう、この廻天が終わる頃この靴はどうなっているだろうね。永遠に廻天し続けるのか、それとも…。」
団長はまたよくわからないことを言っていた。
 靴を貰った箱に仕まうと私はナイフ投げの巡とミカ・ハーゲンに続いて団員の寄宿車両に向かった。
 なんてことはない2段ベッドと1人用のベッドがある寮だったが2人の好みが現れているのか、2段ベッドの上はパンクなファッションや音楽のポスターのコラージュ、下はロリータ風のカーテンが掛かっており、棚にもところどころにうさぎのぬいぐるみがいる。
 私は1人用のベッドを使って良いと言われた。
「ところで」
 ミカが口を開いた。
「この列車に乗ってるということはあんたも訳アリってことだね?」
「…訳ありというか、私は自分は何者でもないという日常が辛くなっただけです。」
黙って聞いていた巡が「ふーん」と言った。
「どうして?そもそもそれだけ若かったらまだ自分が何者かなんてわからないものじゃない?ここに選ばれるってことは他にもっと自分が住む世界にいられない理由があるからだと思ってたケド。」
巡は言った。
「2人には、そんな理由があるの?」
巡とミカは顔を見合わせた。
そして、
「じゃあ、私から話すネ。」
巡が口を開いた。

約束の日

 例えば今この瞬間に地面が割れて太陽がなくなっても私は走ることを簡単にやめられないだろう。

 走るのが好きだから走っているのではない。そうしなければならないから、そうするしかないのだ。

 世界が終わるような壮大なことを考えているけれどこれは部活だ。私の学校では必ず部活に入らなければならない。しかも運動部しかなく球技が苦手な私が入れるのは陸上部しかなかっただけだ。

 正直言って、走るのが楽しいと思ったことは一度もない。ではどうしてまだ走ることをやめようとは思わないのだろう。それは生きていることが苦痛な私の人生にとって唯一繋ぎ止められるもののためだ。

 学校の裏のトンネルを抜けると古い道になる。そこを真っ直ぐ進むとかつて火事になった美術館がある。そこから更に進むと小さな神社がある。そこで毎日お願いごとをするのだ。

 


 「笑ニ神神社」(えにがみじんじゃ)。

 


 この神社には次のように書かれた札が立っている。

 


「泣いた赤鬼の赤鬼と青鬼は何百年も経って再会しました。彼らの姿は一つに混じり合って、「世界の記憶」となりました。そして今それは、ここに祀られているのです。」

 


 「世界の記憶」というのがなんなのかはわからない。だけどこの場所を見つけたとき私は不思議な感動を覚えた。

 なぜなら昔話だと思っていた「泣いた赤鬼」が存在したかもしれない、そしてあの物語には続きがあったということがわかったからだ。

 私はあの物語が幼い頃から好きだった。どうしてかわからないけど何故か心を惹かれてしまったのだ。

 この神社のことを詳しく知っている人はおそらく学校にはあまりいないだろう。この島には昔からの鬼の伝説があるけど詳細を知っている人はとても少ない。その日は何故か吸い込まれるように私は境内に入っていった。

 中は他の神社と大して変わらない。ただ本堂の中心にまるで何か強いものを封印するかのように箱が置いてあり厳重にしめ縄がかかっていた。それはまるで大きな蛇のようだ。

 そして箱の上には一つの丸い鏡が置いてあった。壁にはこのように書かれた紙が貼ってある。

「中心の鏡に自分の顔を写して願い事をするとそれが叶います。」

そんなことがあるわけない。でももしも本当に叶うなら叶ったらいいなと思うことがある。この願いは誰に話しても理解されないだろうし、そんな話が通じる人が自分の周囲に現れたことはない。でももしも叶うなら…。

 

 

 

 私は鏡の中心に自分の姿を写して願った。

 いつからだろう。自分の存在が何者でもないと感じるようになってしまったのは。あなたの存在なんて大したことない、だから言われた通りのことをやって、例え理不尽なことがあってもそこに疑問を持ったり反抗したりせずにみんなと同じようにしなさい。そうすれば安定した幸せをずっと保っていけるのだから。

 社会に出て、生活のためにお金を稼がなければ生きていけないと知った時にあの頃描いた夢はとうに薄くなっていった。その世界に行くには本当はずるいやり方をしなければいけない。努力なんてものは全て嘘で要領の悪い人は一生社会不適合社として生きていかなければならないのかもしれない。

 子供の頃にしていた願い事も何を願ったかなんて忘れてしまった。私の願いなんて非常に抽象的で願いと呼べるものではなかった気がする。

 たまに未来への希望ややりたいことができても仕事の中で苗字で呼ばれる度に下の名前もわからなくなり、自分が何者でもないのだという現実に戻ってしまう。 

「弥栄(いやさか)さん、まじ気をつけて」

「はいすみません」

こんなやりとりを何度してきたことだろう。それでも今は高級リゾート地のホテルにいさせてもらってるだけマシかもしれない。今日は何か重大なパーティーがあるのかレストランの設営をやっていた。テーブルには天井に届きそうなぐらい高く赤ワイングラスが積まれている。

 私は台車にさまざまな料理を乗せて会場まで運ぼうとしていた。テーブルの近くまで来た時に思わず台車がテーブルに当たってしまった。途端に

 ガッシャーーン!!

 積まれていたワイングラスが全て粉々に地面に叩き落とされた。

「何やってんだ!!」

「バカじゃないの?」

「あなたのせいで今日のパーティーに間に合いません。」

「弥栄さん今日はもう帰っていいから。」

どのようにして帰る準備をしたかも覚えていないが私は一目散にその場を後にした。まるで走るしかなかったあの日のように。

 今日も帰ったら、リストカットをしよう。

 自分という人間はこの社会において何も貢献できることがない一つの記号なのだから。

 帰り道を歩いているとまるで全てを包むような巨大な月が街を見下ろしていた。自分も月に行けたらいいのに。月なんて本当にあるかもわからないけど。

 すると何かが月の中心からこちらへ向かって進んでくるのが見えた。それは次第に大きくなっていく。

 この後の話はきっと言っても誰も信じてくれないだろう。月からこっちへ向かってきたのは巨大な列車だった。昔の蒸気機関車だ。列車は汽笛の音色を鳴らして私の目の前で止まった。こんな大きな音がしたら近所の人間が見に来るはずなのに私以外の人間は誰も来ない。まるで時間が止まったような感じだ。

 そして次に信じられないのは列車の1両目の扉が開いて中から誰が出てきたことだ。

 頭の上に大きなシルクハット、銀河のように青い燕尾服に髪は右側が虹色、左側は真っ白だった。杖をついていて先端にはミラーボールが光っている。ヒールの部分がバネになったヘンテコな靴を履いている。

 顔は若くて少年のような少女のような顔をしている。なんとなく「無性」という言葉が頭に浮かんだ。

 目は天の川のように輝いていて心の底から笑顔だが同時に泣き出しそうな目でもあった。左目の下にハート、右目の下に星の形のほくろがある。

 「そのコ」は私を見てやっと会えたと言ったような顔をして口を開いた。

「良かった!!キミを探してたんだよ!さあ早く列車に乗って!!」

明るくて澄んだ声を聞いて何故かずっと前からこのコにあったような気がした。だがこんな状況はどう考えてもありえない。

「いやでも乗るって言ったって、明日だって仕事があるしあなたのことも知らないから…」

「でもキミ、弥栄ヨリだろ?キミにはボクのサーカス団員になってもらう。これでキミの仕事は決まり、だよね?」

何を言ってるのかわからない。サーカス団?それって動物を操ったり曲芸をやったりするやつか。

「いやいや、そんなサーカスなんてできないし。それになんで私の名前知ってるんですか!」

 シルクハットのそのコはくすっと笑って言った。

「じゃあ明日も向いていない仕事をして何者でもない弥栄さんに戻るのかい?弥栄なんてすごく縁起のいい名前なのに、この世界の人間はその意味を何にもわかっちゃいない。それよりは何にでもなれるボクのサーカス団に入って、ヨリとしての存在を証明したくはないかい?それに、ここにいればキミの願いも叶うはずだ。」

願い?そんなものとっくに忘れてしまった。だけど、また明日もいつ終わるのかもわからない労働者としての生活に戻るのだけは嫌だ。

「あらら、自分の願いを忘れちゃった?まあよくあることだ。どちらにしろキミにはどうしても乗ってもらわないと困るんだ。何しろこれには世界の存続がかかってるんだからね。」

何かよくわからないことをぶつぶつと言っている。本当にこんなわけのわからない列車に乗ってもいいのだろうか。だけど、ここで何かを変えなければ自分は一生変わらない気がしていた。

「あの、乗ります。その列車。」

シルクハットのコは嬉しそうに笑って私の手を握ると思い切り振った。

「ありがとう!!そう言ってくれると信じていたよ!そうと決まれば、早速乗ることだ!キミはまだ若い。これからできる可能性は無限大だよ!」

押し込められるように電車に乗り込むときにシルクハットのコは囁いた。

「大丈夫。ボクがキミを見つけたから。」

 

 


 列車はそのまま地面を離れ月に向かって行った。月に近づくとそれは鏡のようにガッシャーンと割れて破片がキラキラと粒になって消えていった。それに気づいたのは世界でもその瞬間に本当にイマジネーションを持った子供たちだけだった。

 


 銀河からやってきたサーカス団長は新たな団員が入る時、決まってこう言った。

 


「ようこそ、ミラーボールサーカスへ」
 

 

 

始まりの鏡

かつて光しかない空間があった。

空間は永く存在しているうちにこう考えるようになった。

 


「自分は何者なのか?」

 


その時空間は一つの実態を形成した。それは鳥の姿だった。

 


鳥とは言ってもその姿は右側の翼だけ。足は2本、頭に角があり目は一つしかなかった。羽は燃えるような赤い色だ。

 


鳥は自分の姿を見ようと鏡を形成した。丁度右の翼だけで持つことのできる手鏡を。

 


鏡の向こうには自分とは全く正反対の存在がいた。左の翼だけ、左目が一つ、1本の角、足は2本、羽は深く青い。その頃の鏡はまだ真実の別の世界を魅せていた。赤い鳥は鏡の向こうの鳥を美しいと思ったがそれに形容する言葉がまだ存在していなかった。

 


赤い鳥は鏡の向こうの世界に名前をつけた。

 


それは「闇」という名前だ。

 


闇の世界の青い鳥は鏡の向こうの鳥を「 I」だと言った。自分だと思っているようだ。

それは傲慢だと赤い鳥は青い鳥を「キミ」だと言った。実際闇の世界は光の世界ほど明るくはなかった。

 


だから赤い鳥は鏡の向こう側にたくさんの生物を作って送り込んだ。頭に角がある生物、様々な翼を持つ鳥たち、狼や爬虫類、中にはそれらが融合した龍という生物を送った。

 


彼らは2メートル以上もある大きな生物だった。その中に毛のない猿のような生物もいた。彼らは自分たちを小さくした存在を作ってこう名付けた。

 


「人間」。

 


人間は大きな生物たちを「神」だと言うようになった。神たちも自分たちによくしてくれる人間たちにそれぞれ能力を授けるようにした。

神たちは人間の願いをなんでも叶えられた。

彼らは互いの力を協力して使うことで世界を調和させていた。

 


そんな一部始終を見ていた赤い鳥は自分も鏡の向こうにいきたいと考えた。そこはたくさんの命に囲まれていたから。特に青い鳥は神の中でも幸せを運んでくれると大人気だった。まるで闇の世界に1人だけの時とは比べ物にならないぐらい光よりも眩しくて。

 


だからある日鏡に青い鳥が映った時、赤い鳥は鏡を割って青い鳥と融合した。そして2本の角に二つの目、両翼の鮮やかな羽に4本足の鳥が生まれた。

 

 

 

鳥は人間の元へ降り立つとなんでも願いを叶えてあげようと伝えた。人間たちは幸せを運んでくれる鳥が自分たちの元へ直接現れたことに喜び、たくさんの願いを要求した。

 


あれが欲しい、これが欲しい、あいつよりももっと強い力が欲しい、こいつよりも美しくなりたい。いくらなんでも願いすぎだと感じた鳥は人間たちの能力を制限して、能力がある記憶を消した。そして生物たちにも人間にやたらと願いを叶えてやらないように制限した。

 


それでも人間と人間以外の生物はそれなりに仲良くやっていけた。特に頭に角がある鬼という生物や狼(かつては大神とした)は人間とは特に近い存在であった。

 


ある時鳥は自分も人間になって人間たちの暮らしを体験してみようと人間に姿を変えた。鳥には性別という概念がなかったがたまたま目に入った美しい女性の姿を模造した。しかしそっくり同じでも困るため頭の角を少し残しておいた。

 


女に化けた鳥が街を歩いていると1人の青年と出会った。青年は鳥のことを「綺麗だ」と言った。

 


綺麗…?鳥にはその言葉の意味がわからなかった。青年は鳥に自分が綺麗だと思う様々なものを見せた。青い空、砂の海、氷の雪原、色とりどりの花畑。また美味しいものやいい香りがするもの、美しい音楽を聴かせた。鳥は心の底から幸せになった。

 


しかし鳥はある日知ることになる。人間にはいつか死というものが訪れることを。

 


青年はいつしか体中に皺が増え、髪も白くなって鳥に綺麗なものを見せてあげる力もなくなっていた。神と呼ばれる一部の鳥や鬼たちは寿命が長く中には死なない者もいる。鳥が姿を変えた女はいつまでも若いままだった。ある晴れた日に息も絶え絶えになりながら鳥にこう言った。

 


「僕は君を愛している。」

 


そう言うと彼は目を閉じて2度とその目が開くことはなかった。

 


愛してるってなんだ?何故人間の寿命はこんなに短いのにその短い中でわざわざ世界を綺麗だと感じたり、何かを欲しいと思ったりするんだ?

 


鳥にはいくら考えてもわからないことばかりだった。なのにどうして目から水が出てくるのだろう。

 


鳥は死のない世界を作ることにした。全ての美しいものに囲まれて誰も傷つくことのない世界。

鳥は4本ある足の右側の一本を折り自分の左目を突き刺した。燃えるような赤い血が滴った。そして世界をその中に吸い込んだ。それは一つの手鏡となった。鳥は満足していつまでもいつまでも鏡を眺めていた。

 


鳥が作った世界の中心には1本の木がありそこには鳥の赤い翼と同じくらい赤い実が成っていた。

まるでそこは楽園と呼べるくらいに美しい世界だった。